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[第一章/−−3−−]



吟遊詩人ウィル・神々の遺産

第一章 湖岸の吟遊詩人(3)


 ようやく街の入口が遠くに見えてきた頃、それに最初、気がついたのはアイナだった。何かが聞こえる。先程も微かな音でキーツの覗きを察知したように、耳の良さには自信があるアイナだ。立ち止まって、周囲を見渡した。
「どうした?」
「しっ!」
 アイナに鋭く制され、キーツは黙った。
 アイナは耳を澄ます。
 ……キャンキャン!
 甲高い犬の鳴き声。近づいてくる。
 見ると、湖岸の方から一匹の白い仔犬が走り寄ってくるところだった。
「ヒッ!」
 隣のキーツが奇妙な声を発した。だが、アイナはそんなものには関知せず、しゃがみこんで手を叩く。
「おいで、おいで」
 仔犬は喜びを全身で表しているかのように跳ねながら、アイナの腕の中に飛び込んできた。すると、またまたキーツが短い奇声を発する。
「おー、よしよし!」
 キーツへの態度とは打って変わって、アイナは愛おしげに仔犬を可愛がる。お返しに、仔犬はアイナの頬を舐めた。
「うふふふっ、可愛い! ほら!」
 アイナは仔犬を抱えると、キーツの方へ差し出すようにした。それに対し、キーツは強張った表情で跳びずさる。
「ヒッ! やめてくれ!」
 冗談ではなく、キーツは本気で怖がっているようだった。顔が青ざめている。
「なに、犬が苦手なの?」
 何十人も斬り殺してきた──と思われる──傭兵が見せる反応に、アイナはおかしくなった。いい仕返しを発見し、さらに仔犬を近づけようとする。
「ま、マジでダメなんだ! 勘弁してくれ!」
「どうする、ワンちゃん。こんなに可愛いのに怖いんだって!」
 アイナは仔犬に話しかけながら、悪戯っぽい視線をキーツに送る。
 それに応えて、仔犬がキーツに吠えた。もちろん、可愛らしい吠え方である。
 それでもキーツには魔獣の咆吼に聞こえるのか、さらに大きく飛び退いた。アイナは思わず大きな声で笑ってしまった。それはキーツに初めて見せる女性らしい笑顔だった。
 ただ、それを感じ取る余裕がキーツにあったかどうかは別問題だが。
 ふと、アイナは仔犬の首輪に気がついた。誰かの飼い犬なのだろうか。首輪自体は普通にある革製だが、前側に飾られた宝石のようなものが目を引く。それは小指の先ぐらいのサイズで、滴のような形をした青い半透明状の石だった。高価なものかどうかは、目利きではないアイナには分からなかったが、なにやら神秘的な石の青さに、この《取り残された湖》の湖面を連想させられる。アイナは思わず、その石に見取れてしまった。
 そのうち、仔犬がアイナの腕の中で暴れ始めた。アイナが地面に降ろしてやると、今度はキャンキャンと吠えながら、飛びかかる動作をし、その後、湖岸の方へ数歩、走り出す。そして、また戻ってきては、同じ動きを繰り返した。
 何かを訴えかけていると、アイナは直感的に思った。ついて来いと言うのか。
 アイナは仔犬にうなずいて見せると、仔犬が導こうとしている湖岸へと足を進めた。
 それを見たキーツが、怖々と後を追う。
「お、おい、どこへ行こうってんだ?」
 だが、そんなことはアイナにも分からなかった。ただ、仔犬の後をついて行くだけだ。
 昨夜の嵐の影響で、湖岸には様々な流木が流れ着いているのが目についた。その他、異常があるとすれば……。
 突然、仔犬が走り出した。アイナも駆け出しながら、仔犬の走っていく先を目で追いかける。その目に信じられないものが写り、一瞬、アイナは見間違いかと思った。
 湖岸の波打ち際。海ほどではないが、静かに打ち寄せる波にさらされ、一人の人間が倒れているのを発見した。
「キーツ!」
 アイナは初めて、のぞき趣味の傭兵を名前で呼んだ。キーツも倒れている人物に気がついたらしい。走る速度を上げてくる。
 アイナがさらに倒れている人物に近寄ると、それが子供らしいと分かってきた。溺れたのだろうか。全身がずぶ濡れのようだ。
 仔犬は真っ先に倒れている子供の元へ駆け寄ると、気がつかせようとしているのか、盛んに吠え立てた。
 続いてアイナが到着。すぐに抱き起こそうと手を伸ばす。
 指先が子供の身体に触れた途端、あまりの冷たさに、一瞬、手を引っ込めてしまった。この子は、どれほどの長い時間、湖の水に浸かっていたのだろう。


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