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すると、その人混みをかき分けて、一人の男が進み出た。顔中がヒゲだらけのような年輩の男である。黒い修道衣を着、首から十字架を下げていた。
マインが眉根を寄せる。
「あん?」
しかし、ヒゲ面の神父らしき男は、山賊など目に入らぬかのように、酒樽に激突して身動き一つしない酔っぱらいの方へ近づくと、しゃがんで、ケガの程度を調べ始めた。
「ふむ。手足は異常がないな……肋骨に少しヒビが入っているか……この酒樽がクッションになったお陰だろうな。命に別状はない」
そう診断を下した神父の言葉に、街の者たちはやっと安堵の表情を見せた。
「やいやいやいやい! 何者だ、貴様!?」
無視されたマインは、当然、この突然しゃしゃり出てきた神父が気にくわなかった。叩きのめさないと気が済まない。
だが、相対する神父には恐怖も気負いも見られなかった。盛んに吠えるマインに対して、堂々と向き直る。
信仰心の為せる技なのだろうか。それとも……。
「私はこの街の神父、グラハムだ」
神父は静かに名乗ったが、その内には闘志が燃えていた。
「神の使いか。オレが二番目に嫌いな人種だ」
「ほう。では、一番目は?」
「オレに逆らう全ての人間さ!」
マインは馬に跨ったまま、グラハムの胸ぐらをつかみ、宙づりにした。恐るべき怪力だ。
だが、グラハム神父は足をバタつかせるようなことはせず、されるがまま、全身の力を抜いていた。
「貴様、神父のくせに、今、酒場から出てきたな。昼間っから、もう飲んでいるのか?」
「そうだ。確かめてみるか?」
そう言ってグラハムは、いきなり息をマインの顔に吹きかけた。猛烈な酒臭さにマインは短く呻いて顔をしかめ、思わず胸ぐらをつかんでいた手を離してしまう。グラハムは難なく地面に着地した。
すると今度は、グラハムから動いた。あぶみにかかっていたマインの足を外すと、そのまま持ち上げるようにしたのだ。これではマインはバランスが取れない。大きな体がグラハムとは反対方向に傾いで、馬上から転落した。
これには成り行きを見守っていた街の者はもちろん、マインの仲間であるはずの山賊たちも笑ってしまった。
だが、恥をかかされたマインがこのまま黙っているはずがない。
「ど、どうやら、死にたいようだな!」
マインは背中に背負っていた大きな段平を抜こうと、剣の柄に手をかけた。
その刹那、グラハムの動きは素早かった。段平を抜こうとしているマインの手首をつかむと、それを押しとどめようとしたのだ。その力たるや。体格からしてマインの方がパワーを持っていると見られたが、その手はグラハムによって少しも動かすことが出来ない。
「ぐっ……ぐぐっ……」
むしろ、手首の骨を折ろうかというグラハムの握力によって、マインの顔には苦痛の表情が浮かんだ。
あと少し、そのまま力を加えられていたら、本当にグラハムはマインの手首を折っていたかも知れない。だが、それを黙って見ているサリーレではなかった。
ヒュン!
空気が鳴ったのと同時に、グラハムは後ろに飛び退いていた。次の刹那には、サリーレが振るった鞭が地面をえぐっており、街の者たちから怯えの声が上がる。
ようやくグラハムの手が離れたマインは、右の手首を押さえながら、がっくりと膝をついた。額には油汗が浮かんでいる。
グラハムは鞭使いのハーフ・エルフを見据えた。
「悪いけど、こんなヤツでもあたいたちの仲間なんでね」
サリーレが鞭を操ると、それは生き物のように右手のグローブに収まった。
グラハムはサリーレに対し、やや斜に構えた。相手が少しは出来ると見て、初めて戦う姿勢を取ったのだ。もちろん、この場でそれが分かったのはサリーレ一人。いや、もう一人いたか。
「山賊がこの街に何の用だ?」
グラハムは視線を外さずにサリーレに尋ねた。サリーレは冷笑を浮かべた。
「山賊稼業も楽じゃないんでね。この街で厄介になろうと思って」
「この街で厄介に? ふん。そんなことを領主のバルバロッサが許すと思うのか?」
「あら、あたいたちはその領主のご子息に呼ばれて来たんだけどねえ」
「何?」
初めてグラハムの表情が強張った。街の者たちも顔を見合わせる。バルバロッサの息子たちにそのような権限がないことは、街の者がよく知っていた。それを覆して、このような輩を招き入れたとなれば、バルバロッサの権力が及ばない事態になったということではないか。それが意味するものとは、つまり──
「バカな、そのようなことがあるわけが──」
「遅かれ早かれ、それが事実だと知るだろうよ!」
そう言い放つと、サリーレは鞭の一撃をグラハムに見舞った。鞭の動きは素早く、変則的なものだ。グラハムは避けることが出来ずに、左腕で鞭を止めた。
「ッ!」
だが、その鞭はただの鞭ではなかった。修道衣の袖を引き裂き、グラハムの腕の皮膚を切り裂く。鮮血が飛び散り、人々から悲鳴が上がった。