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[第五章/− −3 −−]



吟遊詩人ウィル・神々の遺産

第五章 闇夜の襲撃者(3)


 再び夜が訪れた。
 長い一日であったと、執務室から自室に戻ったゴルバは、ベッドにその大きな身を横たえて思った。
 昨日、父のバルバロッサをこの手にかけた。それからデイビッドが逃亡し、嵐の中、捜索隊を出した。翌朝になり、城の者へ父の死を告げ、デイビッド発見の報告、弟たちの帰還とめまぐるしい一日であった。また、領主とはかくも忙しいものかと、改めて父の偉大さを思い知らされる結果となった。
 だが、後戻りは出来ない。父はもういないのだ。そして、その原因を作ったのはゴルバ自身であった。
 忙しくなるのはこれからさ、と思い直し、ゴルバは自嘲気味に笑った。
 そうだ。これからミスリル銀鉱山を完璧に手中に納め、セルモアを制し、ブリトン王国を支配するのだ。その先は隣国との争いも考えられるだろう。立ち止まってなどいられない。進める道がある限り、例えそれが転落に通じていようとも、前へ前へと足を動かさなくてはいけないのだ。そのためには──
 ゴルバはベッド下に手を伸ばした。ヒヤリとした冷たさと息づくような熱さを同時に感じたような気がしたが、構わずにそれをつかむ。
 悪魔の斧<デビル・アックス>。
 父の息の根を止めた忌まわしき凶器だ。昨夜よりも大きくなっている。まるで生きているかのようだ。
 脳裏に頭を割られた父の姿が浮かぶ。それは目をつむってもなお、鮮明に焼きついていた。
 血が欲しい。
 殺せ。 
 まるで斧そのものが、ゴルバに命令してくるかのようだった。こめかみの辺りがズキズキと痛み始める。刃の中央にある赤い宝石が、また明滅しているように見えた。
 ゴルバは立ち上がった。悪魔の斧<デビル・アックス>を手にしたまま。その目はやや虚ろであった。
 自室を出、廊下を進む。その足は自分の意思とは関係なく動いているようであった。
 しばらく歩くと、ある一室の扉の前で止まった。ここは──
「ゴルバ様……?」
 部屋の前で見張りに立っていた兵士が、いぶかしげにゴルバの顔を見た。そして、手にした斧を見て、ギョッとする。
「開けろ」
 ゴルバの口から出た命令も、本人の意思だったかどうか。
「しかし……」
 兵士は躊躇した。ゴルバは自分の主人であったが、様子がいつもよりおかしい。
 だが、結局はゴルバのひと睨みに勝てなかった。
 兵士は震える手で、扉の鍵を開けた。
「どうぞ」
 兵士に扉を開けてもらい、ゴルバは部屋へ一歩踏み入った。
 中は簡素な部屋であった。普段は領主に謁見する前に、王国からの使者や旅商人を待たせておくためのもので、ここで身元が確かかを事前に調べる。いわゆる領主の身を守るための予防策だ。いつ誰が、領主の命を狙って来るとも限らず、身元の確認が取れるまで、ここに一時の間、待機の名目で軟禁しておくのである。だから扉には厳重な鍵と覗き穴がついており、窓も人が通り抜け不可能なくらいの小さなものが一つ、鉄格子つきで設けられているだけであった。
 今はその部屋に、一台のベッドが運び込まれていた。ただ、元が狭いので、余計に窮屈な印象を受ける。
 窓辺に一人の女性が立っていた。
 思わず、悪魔の斧<デビル・アックス>を握るゴルバの手に力がこもった。
 その殺気は常人でも分かったはずだ。だが、女性は怯える素振りも見せず、むしろ優雅とも言えるほどゆっくりと振り返った。
 パメラ。
 ゴルバの父バルバロッサの妻にして、デイビッドの母親。デイビッドと同じく、柔らかそうな金髪を腰まで流し、《取り残された湖》の湖面を思わせるような青い瞳は愁いを帯びて、寒さに耐えるかのように華奢な身体を自ら抱く。年齢は二十九歳のゴルバとそんなに変わらないはずであったが、淑女と呼んでもおかしくないほど、まだ若く見えた。
 そのパメラの顔を見た刹那、悪魔の斧<デビル・アックス>の魔力が解けたかのように、ゴルバは我に返った。そして、自分でも知らないうちにパメラの元へ来ていた状況に驚く。まるで時間が昔に戻ったような錯覚に陥った。
「パメラ……」
 思わず漏らした言葉は、「義母上」ではなく、名前だった。
 やや、うろたえた感じのゴルバに対して、パメラは臆した様子も見せなかった。
「デイビッドは見つかって?」
「いや……」
「そう……」
 母親として安堵したのか、パメラは胸の前で手を組み合わせた。それを見て、突然、ゴルバに激情が走る。
「時間の問題だ。見つけたら、お前の目の前で殺してやる!」
 ゴルバは手にしていた悪魔の斧<デビル・アックス>を見せつけるようにした。
 そんなゴルバを見て、パメラの表情が沈む。
「そんなに憎いの?」
 パメラの問いに、ゴルバも見つめ返す。
「憎いさ」
「あの人を……バルバロッサを殺したじゃない? まだ、足りないの?」
「足りないね! デイビッドも殺す! その後にお前も殺す!」
「今さら嫉妬しているの? 私があなたから、あなたのお父様に乗り換えたことを!」
「うるさい! そんなことは関係ない!」
「あのとき、あなたが──」
「うるさいと言っているだろ!」
 ゴルバは怒鳴った。パメラの言葉をかき消したかった。そして、過去のあの一時を。残酷な青春時代を。
 だが、かき消そうと思えば思うほど、ゴルバの記憶は過去を甦らせた。若き日の自分と美しいパメラ、そして、愛の略奪者たる実の父を。
「今頃、復讐だなんて……」
 視線を逸らして、呟くパメラ。
 そのとき、ゴルバの眼が、カッと見開かれた。言葉よりも先に手が出ていた。左手でパメラの細い首を鷲掴みにする。
「黙れ! 関係ないと言ったはずだ!」
 力をほんの少し加えれば、パメラの首など簡単にへし折れることだろう。パメラの瞳に映る自分の顔が悪鬼に見えた。
「このセルモアをオレのものにするのが夢だったんだ! それには親父が邪魔! デイビッドも邪魔! 事の真相を知っているお前も邪魔だ! 昔のことなど今はなんとも思っちゃいない! オレはそんな器量の小さい男ではない! オレはいずれ、この王国すらも手に入れる支配者となるのだ!」
 ゴルバはそう言い放つと、パメラの首を離した。ようやく息をつぐことができたパメラは、床に倒れて、苦しそうに咳をする。
 部屋の外に立っていた兵士も中の様子が心配になったのだろう。思わず扉を開けて覗き込んだ。
「何でもない! 下がれ!」
 それをゴルバに一喝され、兵士は首をすくめながら再び扉を閉めた。余計なことをすれば、逆に自分の首が飛ぶ。
 ゴルバの怒りは治まりがつかなかった。右手に握った悪魔の斧<デビル・アックス>が勝手に震え出す。
 血が欲しい。
 殺せ。
 また、あの声が聞こえてくるようだった。
 ここでパメラの首をはねてしまおうか。そうすれば、きっと爽快な気分になれることだろう。
 いや、まだだ。簡単には殺さない。この女には自分の苦しみの幾ばくかを味あわせてやるのだ。
 今度は強い意志で悪魔の斧<デビル・アックス>の誘惑を封じ込めた。
「待っていろ。必ずデイビッドを連れてきてやる」
 ゴルバは倒れ伏したままのパメラにそう言い残すと、部屋を出ていった。


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