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[第五章/− −4 −−]



吟遊詩人ウィル・神々の遺産

第五章 闇夜の襲撃者(4)


 大きなイビキに悩まされ、アイナはなかなか寝付けなかった。もちろん、イビキの主はグラハム神父であり、見た目通り豪快そのものであった。
 すでに外は真っ暗になっているだろう。アイナの耳に、外からの物音は入ってこない。人通りが少なくなった証拠だ。
 普通なら、ここは教会の地下にある一室なので、昼間だってそんなに物音が聞こえてくるはずがないのだが、アイナの耳は特別である。どんなに小さな音も聞き逃さない。しかも細かい聞き分けまで可能で、ここまで来ると常人にはない特殊能力と言えた。もっとも、そのお陰で眠れないのだが。
 どうせ眠れないのなら、夜の街でも散歩がてら歩いてこようかと思った。
 幸い、デイビッドの様態は落ち着いている。今もすやすやと寝息を立て、その脇には白い仔犬も寝ていた。ベッドの脇にイスを置いて、ずっとアイナが付き添っていたが、どうやらグラハム神父が調合してくれた薬が効いたらしい。身体の冷えは解消され、子供らしい温もりが戻っている。これならば安心だろう。
 唯一のベッドをデイビッドとその飼い犬に占領されたグラハム神父と同居人のキャロルは、仕方なくテーブルの方でうつぶせになって寝ている。グラハムはともかく、いくら慣れているとは言え、この物凄いイビキを聞きながら、よくキャロルが眠っていられるものだと感心していたら、備えあれば憂いなし、ちゃっかり耳栓がしてあるのを見つけ、アイナは思わず吹き出しそうになってしまった。可愛らしいぷくぷくとしたほっぺをつついておく。
 みんなを起こさないように気をつけながら、携帯用のランタンを持ち、アイナは梯子を登った。
 一階のスペースを占めている礼拝堂に出ると、真っ暗だった。ボロい教会なので、破損した穴から月明かりでもこぼれているかと思ったのだが、どうやら月は雲に隠れているらしく、ランタンの明かりが届かない周囲は闇に飲まれてしまっている。確か、地下で寝る場所がないウィルがここに寝ているはずなのだが……。
「どうした?」
 不意に声をかけられ、アイナは思わずランタンを取り落としてしまうところだった。アイナの耳なら寝息はもちろん、呼吸の音さえ聞き分ける自信があったのだが、今のウィルの位置は声をかけられるまで、まったく分からなかったのである。ましてや黒マント姿で闇に同化していれば、なおさらだ。
「びっくりした。おどかさないでよね」
 心臓の鼓動をなだめながら、アイナがランタンの明かりを声の方向へ向ける。ウィルは旅帽子<トラベラーズ・ハット>を顔にかぶせるようにし、マントで身体を包みながら、礼拝堂の腐りかけた長椅子に横たわっていた。この長椅子が棺に変われば、まるで闇の貴族ヴァンパイアである。
「こんな時間にどこへ行く?」
 ウィルは詫びもせず、重ねて質問した。寝た姿勢はまったく崩さない。
「神父様のイビキがうるさくて寝られたもんじゃないわ。ちょっと外の空気でも吸ってこようかと思って」
「真夜中の女の一人歩きは危険だぞ」
「大丈夫よ。私にはコレがあるし」
 そう言って、アイナは左腕に装備した折り畳み式のクロスボウを示した。もっとも、旅帽子<トラベラーズ・ハット>を顔にかぶせたままのウィルが、それを見られるはずもないのだが。
「それとも一緒について来て、護衛してくれる?」
 淡い期待を込めて、アイナは尋ねた。美しい吟遊詩人と真夜中のデート。年頃の女性がちょっと夢見るのも無理はないか。
 だが、返ってきた答えはつれなかった。
「夜更かしは美声によくない」
 いかにも吟遊詩人らしい答えだったが、この男に一般の定義など通用するのだろうか。
「ケチ」
 アイナはアッカンベーをして、とっととウィルの寝ている横を通り過ぎた。
 だが、出口の前で立ち止まり、
「ウィルはこれからどうするの?」
 と、気になることを訊いてみた。
 グラハムの憶測が正しければ、デイビッドはこれからも狙われるだろう。もちろん、アイナとしては守ってやりたい。だが、自分一人でどこまで守れるだろうか。
 とにかく相手はこのセルモアの権力者なのだ。大勢の兵隊を連れてこられたら、いかにアイナのクロスボウの腕前を持ってしても、防ぎきれるものではない。
 その数のハンデを、唯一、克服できるのが魔法だ。ウィルにはそれが使える。だから、自分と一緒にデイビッドを守って欲しかった。
「神父の話では、魔法使いはこの街で嫌われるらしい」
「ええ」
「そして、多少なりとも街の者にオレのことが知られてしまっただろう」
「………」
「この街へは歌で稼ぎに来たつもりだったが、それは無理そうだ。ならば、次の街へ行くのが得策だろう」
「待って。じゃあ、デイビッドはどうなるの? このまま見捨てる気?」
「神父の話は推測だ。そうと決まったわけではない」
「仮定の話でもよ。そうだわ! もし、神父様の言うとおり、あの子が領主の正当なる後継者なら、助けてあげれば報酬は望むがままよ。これなら歌って稼ぐより大儲けできるわ」
 アイナは自分の考えに小躍りしたい気持ちだった。
 だが、ウィルはそれに乗ってこない。
「オレは持ち歩くこともできないほどの富には関心がない。それにそんな用心棒みたいな仕事、オレのような吟遊詩人に務まるものか。この手の話は、あのキーツとか言う男の専門だろう」
 キーツの名前が出て、アイナは露骨にイヤな顔をした。
 アイナたちがいない間に教会を出て行って以来、キーツは戻ってこない。どこへ行くのか行き先も告げず、未だに連絡もないが、どうせ少しの間、旅の道連れになっただけの関係である。傭兵をしていたなんて言っていたが、その腕前を披露してもらったわけでもなく、アイナの個人的先入観としては懐疑的だ。それにいくら腕が立つとしても、いざ多くの訓練された兵隊を相手にするとなれば、数的不利は否めない。やはり、この場合、キーツの剣よりウィルの魔法だ。
 アイナはウィルを説得しようと口を開きかけた。
 その刹那──
「!」
 アイナの耳が、ある特異な音を聞きつけた。それは小さく、非常に音を立てないよう慎重さが加えられていたが、鞘から剣を抜く、あの音だ。それも二つ。
 ウィルが起きあがった。


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