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「今戻ったぞ」
「遅かったな」
ウィルはそう言うと、マントを広げるようなポーズを取った。
すると地下室の入口である天井から、一匹の黒猫がひらりと飛び降りてきた。黒猫は間髪置かずにウィルへと飛びかかる。するとどうだろう。まるで手品のように黒猫の姿が消えた。
「何、今の?」
アイナはウィルに尋ねた。
「使い魔だ」
使い魔。魔術師が使役する下僕である。動物や鳥などと意思を疎通させることができ、使い魔が見たり聞いたりしたことは、そのまま魔術師に伝わるのだ。使い魔として使役する動物とは儀式魔法によって契約が結ばれ、それは術者が魔法を解かない限り、恒久的に持続する。隠者として暮らす魔術師の多くは、この使い魔を多用しており、部屋から一歩も出ずとも、遠く離れた場所の状況などを知ることが出来た。
ただ、ウィルが今、使ったのは通常の使い魔とは違い、魔法で人工的に作り出した使い魔だ。普通に野や山で生きている動物と契約を交わしたものではない。だから、役目を終えた使い魔はウィルの元へ戻ると、消えてしまったのである。
グラハムはそうと分かって、不機嫌な顔を作った。
「何だ、にーちゃん。オレを見張っていたのか?」
「勝手に城に行かれたら困るからな」
「チッ! 信用ねえなぁ。その話なら、さっき散々したじゃねえか」
「飛び出して行こうとするヤツが二人、こっちは一人。念には念を入れたまでだ」
そう言ってウィルはちらりとアイナを見、当人は慌てて武装を外し始めた。それを見て、グラハムの相好が崩れる。
「ありがとうよ、ねーちゃん。あいつのことをそんなに心配してくれて」
「いや……その……私にも責任があるから……」
「責任か。それならオレの方が責任は重いさ」
グラハムは、昨夜、ウィルが天井に穴を開けたお陰で、埃にまみれたテーブルを水拭きすると、そこに買い込んできた食料を置いた。そして、中から陶製の酒瓶を取り出す。
「あいつはな……キャロルは、オレが責任を持って育ててやらにゃならんのだ」
そう言って、グラハムは昼間から酒をあおった。
そんな姿を見て、アイナはグラハム神父とキャロルの間には過去に何かがあると感じた。それはキャロルも知らないような幼い頃の話かも知れないが、この二人には血のつながりにも似た宿縁で結ばれているに違いない。
アイナはそれを尋ねようとしてやめた。それは他人であるアイナが聞くべきことではないように思われたからだ。
三人は静かに食事を始めた。凝った料理などない。干し肉やパンといったそのまま食べられるものを口に入れるだけ。グラハムなどは食べ物は一切、口にせず、酒だけを飲んでいた。だが、それでいて酔った様子などは見られず、いつでも万事に対処できるように備えていた。
ウィルが開けた天井穴の真上に太陽が差し掛かったとき、突然、犬の吠える声した。それはずっとデイビッドが寝ているベッドの下でじっとしていた白い仔犬によるもので、ベッドに前脚を突っ張らせるように立ち上がっている。自分の主人の変化をウィルたちに知らせているようだった。
「どうしたんだ?」
アイナとグラハム神父が立ち上がって、ベッドの方へ近づいた。
すぐに仔犬が吠えている理由が分かった。デイビッドの目が開きかけている。
「ウィル、デイビッドが目覚めそう! 来て!」
アイナの呼ぶ声に、ウィルも腰を上げた。
覗き込むと、デイビッドの目が半ば開いていた。ただ、少し意識は朦朧としているのだろうか、ハッキリとは開かない。だが、それもちょっとの間だけだった。アイナがデイビッドの名前を何度も呼びかけると、ようやくつぶらな瞳が光を宿し、焦点を結んだ。
「デイビッド、大丈夫?」
アイナは心配そうに話しかけた。
すると驚いたことに、デイビッドはいきなり飛び起きた。ベッドの上で座るようにし、一同を見回す。その目は恐怖とも取れたし、好奇とも取れた。意外な反応だった。
「デイビッド? 具合はもういいの?」
アイナはそっとデイビッドのさらさらの金髪に手を伸ばした。
するとデイビッドは何を思ったのか、その手に噛みつこうとした。
「キャッ!」
反射的に手を引っ込めていなければ、アイナは噛みつかれていただろう。それは決してふざけているというものではなく、本気だった。
「ど、どうしたの?」
「おい、小僧! 何のつもりだ?」
アイナとグラハムの接し方が変わったのは致し方ないだろう。そのくらいデイビッドの行動は突飛だった。
だが、デイビッドは言葉も通じていないらしく、今度は布団に頭を潜り込ませるような仕草をした。布団とじゃれている。そんな姿を見て、アイナもグラハムも戸惑った。
「これはどうしちゃったって言うの?」
「まるで赤ん坊みたいだな」
「と言うか、犬や猫みたい」
「まさかショックでおかしくなっちまったのか?」
「そんな、いくら何でも……」
とはアイナも言ってみたものの、こんな尋常じゃないデイビッドを見ていると完全に否定は出来ない。デイビッドを発見したときは湖の畔に流れ着いていたのだ。そこに至るまでにどんなことがあったかまではアイナも知らない。何かが原因でトラウマになっているのかも知れなかった。
「ええい、クソッ、このままじゃラチが開かん!」
業を煮やしたグラハムがデイビッドの襟首をつかんだ。
「いい加減にしやがれ! オレたちはお前さんを助けたんだぞ! まずは礼の一つも言ったらどうなんだ?」
しかし、それは逆効果になった。びっくりしたデイビッドがグラハムの手をふりほどこうと暴れ、おまけに引っ掻き始めたのだ。子供といえども、全身を使った抵抗を簡単に押さえられるものではない。結局、グラハムはデイビッドと取っ組み合いのようになった。
「このぉ! ふざけんな、ガキ!」
「うああっ! ああーっ! あうぁーっ!」
暴れるデイビッドが発するものは、言葉になっていなかった。まるで喋れないかのように。