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[第七章/−1 −−]



吟遊詩人ウィル・神々の遺産

第七章 病める後継者(1)


 なんでこう、スカートって足にまとわりつくのだろうか。
 アイナは走りながら、心の中で愚痴をこぼしていた。
 普段ならスカートなんて穿くことはない。今日は特別だ。
 約束の日だった。あの人との。
 アイナの視線の先には小高い丘がなだらかに伸びており、その頂上には一本の大きな木が青々とした葉を覆い茂らせ、風に枝を揺らしていた。
 あの木の下で待っているはずだ。いつものように。まるで、そこが彼のいるべき場所のように。他の所で見かけたことなどない。そこで暮らしているのではないかと冗談にも思ったりした。
 アイナは息が切れかけているのも構わずに走り続けた。約束の時間はとうに過ぎている。
 あの人が来たのは三ヶ月前。いや、それより前だったのかも知れない。何しろ、子供の頃は遊び場だったその場所も、仕事を始めてからは足を運んでおらず、久しぶりに休みを取ったときにふらりと出掛けたのだ。だから、もっと前からいたのかも知れない。そのことを後になってから、アイナは後悔したものだ。
 久しぶりに丘の上に出掛けたアイナは、そこで見知らぬ青年を見つけた。年の頃はアイナと同じくらいか少し上。旅の者らしく使い古したマントを羽織り、木の幹にもたれかかるようにして座っていた。ちょうどそこからはアイナが来た方向でもある村が一望できた。
 古い村だ。それこそ百年も前から時間が止まっているかのように、近くの森を狩猟場にして獲物を獲り、生計を立てている。質素で何の特徴もない村だった。
 だから住んでいる人間たちも気質が古い。あまり余所者と交わろうとする者はいなかった。余所者を拒絶するような素振りさえある。村の外とは隔絶されたような、そんな所だった。
 そんな村の人たちに対して、アイナはいつか村を出て行ってやろうと思っていた。もっと広い世界を、色々なものを、自分の目で見てみたかった。
 だが、アイナもいつしか、この故郷でハンターを仕事にするようになった。父と母が亡くなり、他に身寄りがないアイナは否が応でも生きて行かなくてはならなくなったせいもある。村の者からは結婚を勧められた。しかし、アイナはこの村の人間と結婚し、ずっと村の中で一生を終えたくはなかった。結婚するならば村の者以外と。そう決めていた。
 アイナは村の気質に準じた生活を送っていたが、女のハンターはやはり珍しい。普通、村の女は畑仕事か森にキノコなどを獲ってくるのが仕事だ。それでもアイナは努力し、ハンターになった。
 獲物を仕留めるには弓を大きく引き絞り、遠くへ矢を射なくてはいけない。アイナはその非力さをカバーするため、クロスボウにした。これならば力は関係ない。あとは腕前だが、それは人の数倍、努力した。やがて同世代の男性ハンターと比べても、腕前はヒケをとらないように成長し、さらにアイナは自分の聴覚が優れていることを役立て、小さな音からも獲物を見つけ、それを仕留めるようになっていった。
 最早、アイナは村で一、二を争うハンターと呼ばれていた。そのせいかも知れない。ここ最近は今の生活に満足し、子供の頃の夢である村の外を見たいという想いを忘れかけていた。
 だから、その旅の青年を見つけたとき、夢を取り戻した気がした。
 アイナは好奇心旺盛な子供のように、無邪気に青年を質問責めにした。しかし青年は当初、無口で、なかなかアイナの質問に答えてくれず、閉口してしまった。それでも辛抱強く話しかけ、一言二言、答えを引き出すことに成功した。それはアイナが生まれて初めて聞く、異国の景観や人々の暮らしだった。それを想像すると胸の鼓動が高まり、居ても立ってもいられなくなるのだった。
 翌日、仕事へ行く前に丘へ立ち寄った。すると、そこにはやはり青年がいた。アイナが話しかけると、青年は少し表情を緩めたようだった。
 こうして、アイナと青年は毎日のように会うようになった。
 青年は大陸を旅しているのだという。名前以外、生まれた場所や家族のことなど自分について話すことはなかったが、さすがに諸国を巡っていただけあって博識だった。アイナは色々な知識を得られることができ、青年と話をすることが楽しくてしょうがなかった。
 どんな過去があったのか、初めは悲しげな表情さえたたえていた青年も、次第にアイナと打ち解けるようになった。そうなれば若い男女である。二人の中がより親密なものになっていくのに、それほど時間はかからなかった。
 今日は狩りの仕事を休み、その青年と一日中、一緒にいる約束だった。だから慣れないスカートなどを穿いて時間を食い、遅刻してしまったのだ。
 アイナはまとわりつくスカートに業を煮やし、両手で裾を持ち上げた。白い太腿が露わになる。村の男たちが見ていたら、きっと目を剥いていたに違いない。だが、こんな恥ずかしい姿も青年にだったら見られても平気だった。いや、恥ずかしいことに変わりはないが、青年は別格だった。
 スカートをたくし上げたアイナは、再び走り始めた。青年はこの姿を見て、どんな顔をするだろうか。それを想像するとおかしくもあり、楽しくもあった。
 だが、そんな青年の反応を知ることは出来なかった。
 約束の場所に青年の姿がなかったのである。
 出会ってから、いつもいたはずのその場所に。
 アイナが遅刻したので、待てずにどこか行ってしまったのだろうか。
 いや、そんな人ではないとアイナが一番、分かっていた。だったら、どこへ。
 アイナはもう青年に会えない気がした。それは両親が死んだときよりも深い悲しみとなって、アイナの胸を締め付けた。
 自然、涙が浮かんだ……。


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