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[第八章/− −2 −−]



吟遊詩人ウィル・神々の遺産

第八章 魔銀の墓場(2)


 グ〜、キュルキュルキュル!
 恥じらいもなく鳴ったお腹に、キャロルは思わず頬を赤らめた。とは言え、他に聞いている者などいない。キャロルをさらった男たちも先刻、出て行ったきりだ。今はキャロル一人だけ。
 ここは《魔銀の墓場》に建てられた粗末な小屋の中である。かつてはここに墓守が住んでいたのだが、今は街の方で暮らしているため誰もおらず、物置小屋のような扱いだ。しばらく使っていないためか、片隅に寄せられたテーブルや床の上には埃がたまっており、シャベルやつるはしといった道具も土をこびりつかせたまま転がっている。ボロさ加減ならば、キャロルが住み込んでいた教会といい勝負であろう。
 昨夜、ソロに連れ去られたキャロルは地中で呼吸できず、気を失った。気がついたときにはすでにここへ運ばれており、手は部屋の中央にある柱に後ろ手を回すように縛られ、逃げられないようにされていた。ただ、猿ぐつわはかまされていない。
 自分がデイビッドと交換のために連れ去られたのだと、すぐに思い至った。だったら、すぐに殺されるということはないかも知れない。そう考えると、キャロルはジタバタともがくことはしなかった。ムダに叫んだりしては誘拐犯にうるさいと痛い目に遭わされるかも知れないし、食事が与えられるかどうか分からない現時点では体力の消耗も控えるべきだろう。この辺、グラハム神父から聞いていた昔話が役に立った。それは若き日のグラハムが牢屋に入れられた話だったのだが……。
 実際、キャロルの判断は正しかった。誰も食事を与えてくれなかったのである。先程、腹の虫が鳴ったように、空腹に耐えかねていた。いや、むしろ深刻なのは喉の渇きで、脱水症状で意識が朦朧となりつつある。
 せめて水をと思い、キャロルは誘拐犯の男たちに頼もうとしたが、連れ去ってきた小男は怪物じみて怖く、青白い顔をした痩身の長髪男は無愛想で、願いを聞き入れてくれなかった。さらに昼間のうちは二人ともどこかへ行ってしまっていて、キャロルは一人、小屋に取り残されるはめになり、先刻、男たちが一度戻って来たときにも懇願したが、ムダだった。
 食事も水もないのでは、まだ少女であるキャロルは限界に近い。そうなるとさすがに助からないのではないかと弱気になってくる。
 小さな窓からは赤い光が漏れていた。夕暮れ時だ。じきに夜になってしまう。そうなれば気温も下がってくるはずだ。
 このまま死んでしまうのかとキャロルは思った。もっとも意識が朦朧としてきているので、怖いとか悲しいとかいった感情は込み上げてこなかった。
 その時である。
 床下で何かの物音がした気がした。
 キャロルは失いかけていた意識を、首を振って呼び戻す。
 確かに床下を何かが移動しているような音。
 ネズミ?
 音の移動先をキャロルは追った。部屋の隅に床板が外れている部分がある。どうやら、そこへ向かっているようだった。
 キャロルは緊張に身を固め、柱に体重をかけながら膝を立て、屈伸を利用して立ち上がった。もちろん、これ以上はロープで縛られているのでその場から動けない。
 床板の隙間から何かが動くのを見た。ただ、部屋の中は相当、暗くなり始めているので、その正体までは確かめられない。
 キャロルはよく目を凝らした。
 ブヨヨヨヨォ!
 あぶくが吹き出すような異様な音を立てて、そいつは現れた。半透明色の不定形生物。
 ブロッブだ。
 ブロッブはスライムの一種である。かつての魔法実験で生み出された生物であり、主に汚物や廃品の処理に重宝がられていたらしい。中でもブロッブは金属を腐食させる特徴があり、鉄クズなどをエサにしていた。だが、それが野放しになったものが野生化し、小動物を襲うようになり始めたのだ。
 このセルモアでもミスリル銀鉱山があるため、それ目当てのブロッブが多く生息し、鉱夫たちの天敵になっている。ブロッブの弱点は火なので、たいまつでも手にしていれば子供でも退治できるが、万が一、取り込まれてしまったら生きながらにして消化されてしまうのだ。
 よりにもよってこんなときに現れるとは。キャロルは天を仰いだ。


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