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ソロはたっぷりと時間をかけて、ウィルを地中に沈めた。
このまま地中に置き去りにしてしまえば、間違いなくウィルは呼吸できずに死んでしまうだろう。だが、それで満足できる男ではない。たとえウィルの呼吸が停止していても、自らの刃でその心臓を貫かない限り、殺しの充足感は得られないのだ。だから、頃合いを見計らって、ウィル共々、地上に浮上するつもりだった。
ソロの息は長く続いた。酸素を得られない地中で馬よりも速く移動するには、必要不可欠の能力だ。ただじっとしているだけなら、半日は保つ。だが、この場合は早くウィルを始末したくてうずうずし、そこまで悠長には待てなかった。
持てる精一杯の忍耐を総動員して待ち、もうそろそろいいだろうと言う心の声を百回繰り返してから、ソロは地上へ顔を出した。ぐったりと動かなくなったウィルの身体を──もっともソロ以外で地面の中を自由に動ける人間などいるはずがないが──ソロは力を込めて引き上げた。
「殺ったか?」
地上に姿を現したソロに近づきながら、カシオスが尋ねた。ソロはウィルの様子を窺ってみるが、ピクリとも動かない。
「どうやらお陀仏のようだぜ」
ソロは残忍な笑みを漏らした。そのウィルにトドメを刺そうと、半月刀を振り上げる。
そのときだった。ウィルの双眸が見開かれた。
「!」
「なんだと!?」
驚くのも無理はない。普通の人間ならばとっくに呼吸停止に陥っていても不思議ではないほどの時間、ソロはウィルを沈めていたのだ。ゾンビでもなければあり得ない。
吟遊詩人ウィルは不死身なのだろうか。
ウィルが地中に沈められる前に唱えた呪文こそ、空気がないところでも呼吸が出来る魔法だった。本来は水中で使うものだ。これによってウィルは窒息せずに済んだである。
もちろん、カシオスたちがそれを知ることはなかった。
「永遠に眠ってろ!」
死んでいようと生きていようと、トドメの一撃にためらいはない。ソロは半月刀の重みを利用して、ウィルに凶器を振り下ろした。それをウィルは横に転がって避け、起きあがりざまに呪文を唱える。
「ベルクカザーン!」
ドーン!
ドラゴンの咆吼のごとき轟音がと共にウィルの手から迸った電撃が、ソロの身体を貫いた。その衝撃の凄まじさ。小さなソロの身体は弾かれるように後方へ吹っ飛び、頭から地面に激突した。後にはブスブスと肉の焦げる匂いが周囲に立ちこめる。
「ソロ!」
強敵に倒された弟の名をカシオスが呼んだ。
だが、ウィル必殺の電撃呪文を喰らってもなお、ソロは生きていた。やはり、レジストしていたのだろう。しぶとさなら、ソロも負けていなかった。
「ぐっ、ぐうっ……」
しびれる身体をゆっくりと起こす。頭から地面に落ちたダメージは柔らかい土が吸収してくれたので大したことはないが、全身麻痺を完全に脱することは出来ない。
カシオスはソロが戦列復帰する時間を稼ぐため、ウィルに攻撃を仕掛けた。触れれば鉄をも切断する髪で次々とウィルの首を狙う。
だが、ウィルは《光の短剣》でそれらを全て見切り、薙ぎ払ってしまった。カシオスは自分の攻撃が通用しないと知り、愕然とする。
ウィルはカシオスの攻撃を受けきりながら、徐々に間合いを詰めた。カシオスの武器は髪の毛以外にもショートソードがあったが、剣の腕もウィルには遠く及ばないであろう。
カシオスは不意に空中へ舞い上がった。髪の毛がカシオスの身体を押し上げているのである。ウィルは頭上を見上げた。
それがカシオスの狙いであった。頭上にウィルの注意を引きつける。そうすれば足下に隙が出来るはずだという計算だ。
カシオスはソロの戦法を真似て、髪の毛を地中に通し、ウィルの真下から攻撃する策に出た。いわば、自らをおとりにしたのである。
だが、それよりも速くウィルは動いていた。後ろに飛び退きながら、呪文を詠唱する。
「ヴィド・ブライム!」
ゴオオオオオッ!
巨大なファイヤー・ボールが空中のカシオスへ向けて飛んだ。空中では動きが思うようにならない。カシオスは咄嗟に自分の髪の毛で身体を覆うようにし、ガードを固めた。
ドーンと言う爆発音と衝撃がカシオスの身体を揺さぶった。熱い。髪の毛で直撃から守っていても、灼熱の炎が身を焦がす。カシオスは意識が遠くなり、地上に落下した。
すでにレジストするとか言う段階を越えていた。むしろ直撃を喰らって息をしている方が奇跡に近い。一命を取り留めたものの、ソロと同じく、すぐに立ち上がるのは困難であった。
視界の隅では、やはり倒れているソロの姿が見える。異形の力を持った二人が、たった一人の吟遊詩人にこのザマだ。太刀打ちできない。
カシオスは観念した。きっとウィルも容赦はしないだろう。そういう男だ。
寡黙な吟遊詩人はカシオスとソロにトドメを刺すべく、最後の呪文を唱え始めた。
その刹那である──
「助けて〜っ!」
それはウィルだからこそ聞こえたのだろう。キャロルの悲鳴だった。
ウィルはカシオスたちに構わず、疾風のごとく駆けだした。先程、カシオスに教えられた小屋の方角だ。黒いマントを翼のようにたなびかせて、アッと言う間に駆けつける。
扉を蹴破って中に入ったウィルの目に、ブロッブにまとわりつかれているキャロルの姿が飛び込んできた。早くもキャロルの服を所々溶かし、全身を包み込もうとしている。
「ブライル!」
ウィルはファイヤー・ボルトを放った。焼けた鉄を水の中に放り込んだような音がし、ブロッブは慌てたようにキャロルの身体から離れた。
続けてウィルが二発目を喰らわせると、ブロッブは動きがたちまち鈍くなり、やがて床の上に力つきたように伸び広がって、半透明色の身体が薄汚れた乳白色に変わってしまった。死んだのである。
間一髪のところを間にあったウィルがロープをほどいてやると、キャロルは年相応の子供らしく泣きじゃくりながら抱きついてきた。もっともウィルは、どんな優しい言葉をかけていいものやら分からなかったようで、ただ背中を撫でるやることしか出来なかったが。
キャロルを抱きかかえたウィルは小屋を出て、先程戦っていた場所まで戻ったが、そこにカシオスとソロの姿はなく、デイビッドだけが魔法障壁の中で眠り続けていた。トドメは刺せなかったが、敵も相当な痛手を被ったであろう。
ウィルの表情には戦いの感慨など微塵もない。ただ、少しは疲労の色が滲んでいるようだった。
夕陽は今や西の岩山に完全に沈み、《魔銀の墓場》に夜をもたらしていた。