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星が満天に輝く夜空を眺めながら、吟遊詩人ウィルは《銀の竪琴》を静かに爪弾いていた。時折、模索するかのように指が止まったり、同じ動きを繰り返したりするのは、新しい曲を作っているせいかもしれない。それでも音は極めて静かに心地よく、扉を挟んだ隣にいるキーツなどは、すっかりと寝息を立てていた。
月光が作り出す長い影と同化したような吟遊詩人のシルエットは、あまりの美しさに本来の仕事が夜の見張りなどという無粋なものであるのも忘れさせてしまいそうだ。
南に一つの流星が消え去った直後、小屋の入口からずんぐりとして背の小さな人物が現れた。ドワーフのストーンフッド。この小屋の主だ。
「寒かろう。こいつでも飲んで、暖まっちゃどうだ?」
ストーンフッドの手は、二つのカップを持っていた。中身は野菜たっぷりの茶色いスープのようだ。食欲をそそる匂いとアツアツの湯気が和ませてくれる。
「すまない」
ウィルは《銀の竪琴》を背中の方へ回すと、ストーンフッドからカップを受け取った。
「こっちの方には必要なさそうだな」
だらしなく口を開けて寝ているキーツを一瞥して、ストーンフッドが独りごちる。思わず、その口にアツアツのスープを流し込んでやりたい衝動に駆られる。
「みんな、寝たのか?」
ウィルはカップで両手を温めるようにして尋ねた。
「ああ、子供たちはもちろん、神父も女もな」
「世話になる」
「ふん。トラブルを持ち込みおって」
「聞いたのか?」
キーツがここへ泊めてくれと頼んだときに、ストーンフッドにはこれまでのいきさつを話していなかった。ヘタなことを喋って、領主の城にこちらの居所をさとられるのは得策ではないからだ。人間へは積極的に関わることのないドワーフでも、用心に越したことはない。
だが、さすがにストーンフッドも尋常な事態でないことは感づいていたのだろう。
「事情は知らん。だが、流れ者のアンタたちはともかく、街の神父までここを頼ってきたんだ。何かヤバいことが起きたに決まっておる」
「なるほど」
「まあ、ここはセルモアの中でも特別な所だ。鉱山夫以外の人間たちは近づかない掟がある。ワシたちドワーフがいなけりゃ、ミスリルは掘り出せないんだからな。領主のバルバロッサだって、迂闊には手を出せんさ」
「領主ならば、な」
「ん? ──お前さん、それはどういう……?」
ストーンフッドは訝しがった。少し考えてから、顔を強張らせる。
「まさか、バルバロッサの身に何かあったのではないだろうな!?」
ウィルは首を縦にも横にも振らず、ただ真っ直ぐにストーンフッドを見据えた。
ストーンフッドはまるで具合が悪くなったかのようによろめいた。
「ついにこのセルモアにも争いの火種が生まれたか! ──いや、火種はあの魔導士が現れたとき、すでにあったのかも知れんな。これでセルモアもブリトンの内乱に巻き込まれる!」
「どういうことだ?」
「病に伏せっているダラス二世にしろ、その息子カルルマン王子にしろ、このセルモアはブリトン王国で唯一、自由にならなかった所だ。それもこれもバルバロッサがいたからに他ならない。だが、もしバルバロッサが死んだと王国に知られてしまえば、王国は全力を持ってセルモアを奪い返しに来るだろう。特に今は国そのものが弱体化しつつある。このまま他国から侵攻されたらひとたまりもないだろう。だが、ここの財源を押さえれば、国が持ち直すのは明らかなのだからな。黙って見ているようなことはあるまい」
「なるほど」
ウィルはストーンフッドの予測に深くうなずいた。
「どうせ、バルバロッサの息子ゴルバあたりが早まったことをしたのだろう。そんな器量の小ささだから、バルバロッサも跡継ぎにしなかったということが分からなかったのか」
ストーンフッドは一人で唾を飛ばし、怒っていた。半分は悔しさに泣き出しそうだ。
そんなストーンフッドにウィルは質問を続けた。
「ご老人は領主と面識があったのか?」
「ご老人と呼ばれるような歳ではないぞ。──バルバロッサは、人間にしては話の分かるヤツじゃった。秩序も何もなかったミスリル銀鉱山の採石を、今のように計画的に進めたのもバルバロッサだ。ワシらドワーフと対等に向き合い、常に礼を欠かすことはなかった。いささか野心がありすぎるのが欠点じゃったが、それもこんな時代に生きて行くには必要な資質だからな。こうなるのも天命だったのかも知れん」
「その息子たちについてはどうだ?」
「ゴルバたちか? ヤツらとは直接の面識はない。そもそも十五年前の事件で、四人とも表に出てくるようなことはなくなってしまったしな。長男のゴルバ以外は、街を出て行ったとも聞いている。それ以上は分からんな。その後、生まれた五人目のデイビッドも領主の城から出たことがないと言う。まあ、バルバロッサのヤツはいたく可愛がっていたようで、後継者はデイビッドに決めたとも言っていたな。──そう言えば、その子はどうなったんだ? やはり殺されたのか?」
「ドワーフは人間のことに関心がなかったのではないか?」
徐々に身を乗り出すようにして聞いてくるストーンフッドに、ウィルは揶揄を込めて言った。
「ふん、本来はな。だが、ワシらドワーフにとっちゃ恩義のあるバルバロッサの子供だ。助けてやりてえと思っちゃいけねえか?」
「いいだろう。じゃあ、このまま匿ってやってくれ」
最初、ウィルの言葉の意味が分からなくて、ストーンフッドは目をパチパチさせていたが、すぐに何かに思い至った様子だった。
「あーっ!? あの子か!? あの子がバルバロッサの?」
そう叫んでから慌てて口を押さえ、背後を振り返って小屋の中を見やった。幸い、すぐ近くで寝ていたキーツも、小屋の中のデイビットたちも起こさずに済んだ。そして、ストーンフッドは一人でうんうんとうなずき、段々と嬉しそうな表情へ変わっていった。
「そういうことじゃったか。分かった。そういうことなら任せてもらおう」
「助かる」
小屋の中に戻っていくストーンフッドに、ウィルは礼を述べた。
だが、このままデイビッドをかくまい続けても、何の問題解決にもならないことは明らかだった。そうこうしているうちに、ストーンフッドが危惧したとおり、バルバロッサの死が王国に知られ、軍隊が攻めてくる可能性もあった。そうなると事態は混迷を深めてしまう。
ウィルは何かを考え込むように旅帽子<トラベラーズ・ハット>を深くかぶり直すと、夜の闇へと静かに溶け込んでいった。