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もはや、小屋の中は大騒ぎになっており、収集がつかない状態だった。それを眺めるマインのこめかみがピクピクと痙攣した。
「お前ら、何をしている! 子供一人、捕まえられないのか!」
マインの怒号が響いた。それはキャロルやチックにタックの動きを一瞬、止めるのに充分な迫力があったが、ただ一人、デイビッドだけはタックの鼻をかじるのをやめなかった。
「貴様、離れろ!」
マインはタックに馬乗りになっているデイビッドを蹴飛ばした。力一杯ではないものの、デイビッドは軽々と壁まで飛ばされる。背中を打ちつけ、息も詰まったはずだが、デイビッドの目からは闘争本能が消えることはなく、果敢にもマインへ飛びかかっていった。
「何をしやがる!」
右足へデイビッドにしがみつかれ、マインは振りほどこうとした。デイビッドはまたしても自分の歯を武器に、マインの太腿へ噛みつく。肉が千切れそうな痛みに、マインは悲鳴を上げた。
その一方で、マインはデイビッドに対する違和感を覚えていた。
(何だ、コイツは? 子供のくせに大人が怖いとかいう感情はないのか? まともじゃないぜ!)
デイビッドの執拗な噛みつき攻撃をやめさせるには、まだ腕をつかんだままだったアイナが邪魔であった。ふと、その手が緩む。
アイナはこのチャンスを狙っていた。素早く右手で、左腕に装備されたクロスボウの弓をワンタッチで広げる。
バチン!
それはバネ仕掛けの勢いで、マインの顔を大きく引っ掻く結果になった。
「ぐああああっ!」
マインはたまらず、両手で顔を覆った。アイナの腕をつかんでいた手が離れる。
「キャロル、デイビッドと一緒に逃げて!」
転がって逃げ回るチックにトンカチを振り回していたキャロルは、アイナの声にようやく我に返り、まだマインの足に噛みついたままのデイビッドの腕を引いた。デイビッドもキャロルにうながされて、ようやく離れる。だが、マインの顔の傷は目にも及んだらしく、デイビッドたちが逃げるのを止められない。仔犬もその後に続いた。
「今のうちよ!」
アイナはそう叫びながら、クロスボウに矢をセットし、マインに向けて発射した。マインはそれを大きくのけぞって交わす。矢はドアの上に刺さった。その下をデイビッドとキャロルが通り抜け、小屋の外へ出た。
「チック! タック! 逃がすんじゃねえぞ!」
マインは怒鳴るようにして双子に命じた。デイビッドに鼻を噛まれたタックはおびただしい出血をしていた。もう少しデイビッドに噛まれていたら、きっと鼻をもぎ取られていただろう。チックはタックを抱き起こしながら、自分たちが侵入した窓へと移動した。
「行かせないわよ!」
アイナは双子のホビットに向けて、クロスボウの第二射を放とうとした。だが、それをマインが背中の段平を抜き、阻止に来る。アイナの目の前を大きな刃が薙いだ。
マインの攻撃を避けた弾みで、クロスボウの矢は見当違いの方向へ飛んでしまった。アイナは即座に再セットしようとするが、その隙をマインが与えてはくれない。
「早くしろ!」
まだグズグズしている双子に、マインは声を荒げた。怒り狂って、味方まで斬り殺しかねない勢いだ。
チックとタックは首をすくめながら、軽々と窓を飛び越え、逃げたデイビッドたちを追って行った。
「女、やってくれたな!」
まだ左目を押さえながら、マインは憤怒の形相でアイナを睨み付けた。段平を持つ右手が震えている。この大男のことだ、きっと片腕でも段平を振るうことに支障はないはず。
アイナはじりじりと距離を保とうと後ろに下がった。が、マインも間合いに詰めようとにじり寄ってくる。アイナの背中を冷や汗が伝った。
「よくも……やってくれやがったな……」
マインが殺気を強めた刹那だった。思いがけず大きな影が立ち上がり、相対していた二人はそちらに気を取られた。
それは立ち上がったグラハム神父であった。チックの吹き矢で一旦は眠らされたにも関わらず、こうも早く起きあがってくるとは、実に驚異的な抵抗力だと言える。普通の人間ならば、半日は昏睡状態が続く麻酔薬だ。
グラハムはまだ麻酔薬の影響があるのか足下がふらついていたが、自分が愛用するメイスを手にすると、マインに立ち向かっていった。今のグラハムではマインの敵ではないだろうが、この場にはアイナもいる。しかも飛び道具だ。対するマインは一人。ここで仕掛けるのはためらわれた。
「チッ! ここは一旦、引き下がるとするか」
マインの怒りは収まりがつかなかったが、ここでやられては何にもならない。それに目的のデイビッドは逃げてしまっている。マインは決断した。
「逃がさないわよ!」
マインがグラハムに気を取られた隙に、アイナはクロスボウのセットを終えていた。狙いをつける。
「あばよ!」
マインはその巨体に似合わず、俊敏な動きで出口へ飛び込んだ。アイナはクロスボウを発射したが、飛び込みざまに扉を閉められ、それに阻まれてしまう。敵の頭脳的プレーにアイナは唇を噛んだ。
「ううっ……」
アイナは後を追おうとしたが、グラハム神父が一声呻いて倒れてしまったために、その足を止めざるを得なかった。いくら強靱な肉体を持ったグラハムとはいえ、やはりチックの吹き矢は効いていたのだ。それでも一度、起きあがってきたのだから大したものである。
アイナはグラハムの容態を気にかけながら、あとはデイビッドとキャロルが無事に逃げおおせてくれるのを祈るだけだった。