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ギリッとキーツは歯を鳴らし、今にもマインに殴りかからんばかりだった。それを後ろからキャロルがぎゅっとシャツをつかみ、思いとどまらせる。
「オレたちは傭兵だ。別に愛国心があって戦っているわけじゃない。金のためだ。お前だってそうだろう?」
マインは挑発するように言った。
「だからって、だからって……お前は仲間を売ったんだぞ!」
「それがどうした?」
「みんな死んだんだぞ、みんな! オレを残して、みんな死んでしまった!」
「みんな、か。じゃあ、あのハーフエルフの女戦士──お前と親しかった、ミシルという名前だったか──あいつも死んだのか?」
「そうだ! ミシルとは、あの戦争が終わったら結婚するつもりだった!」
「そうか、やはりそうか! ハッハッハッハッハッ!」
「何がおかしい!?」
突然、笑い出したマインに対し、キーツは気色ばんだ。マインの笑いは止まらない。
「結婚だと? ミシルがイエスと言ったか?」
キーツは表情を硬くした。
「答えをもらってないんだろ?」
マインの言う通りだった。どうしてマインが言い当てたのか、キーツは訝った。
マインは勝ち誇ったように、
「お前、知っているか? ミシルは妊娠していたんだぜ」
「ミシルが!? 妊娠!?」
それは初めて知る事実だった。
「鈍い男だぜ。オレたちの部隊で知らなかったのは、お前だけだ!」
「……じゃあ、なぜ……どうして、ミシルはオレと──」
キーツはうろたえた。ミシルとは深く愛し合っていたはずだった。それなのに、なぜ……。
表情を曇らせるキーツを見て、マインはなおも嘲笑った。
「ミシルはお前に言えなかったんだろうよ。子供の本当の父親の名を!」
「なに!?」
「本当の父親──それはオレさ!」
「!」
「オレは手に入れたいモノは何が何でも手に入れる主義なんでな!」
その瞬間、キーツの怒りは頂点に達した。キャロルの必死な制止も通じない。素手で殴りかかった。
マインはそれを待っていた。段平に手をかけ、斬り捨てようとする。だが、そこに思わぬ邪魔が入った。
「ワン!」
デイビッドたちと一緒に逃げてきた仔犬が、マインの足に飛びかかって噛みついたのだ。それも先程、デイビッドに噛まれた箇所と同じところだ。
「うおっ!?」
不意打ちにマインは段平を抜くことができなかった。その顔面へ、キーツのパンチがクリーンヒットする。
バキッ!
鈍い音がして、マインの巨体は大きく吹き飛ばされた。背中から地面に叩きつけられる。
「立て、マイン!」
それでもキーツの怒りが納まることはなかった。息荒く、物凄い形相でマインをねめつける。
マインは半身をむくりと起こすと唾を吐き捨てた。いや、それは唾と言うよりは血の塊に近く、鼻血も流れ出している。それをグイッと右手の甲で拭った。
「おお、怖い顔しちゃって」
思ったよりも受けたダメージが小さかったのか、それとも強がっているのか、マインはからかうような口調で言った。そんなマインにキーツが近づく。
「ぶっ殺す! 死んでいったみんなの無念を晴らすために! そして、ミシルの苦しみを思い知れ!」
「ケッ、たかが女一人のことで熱くなりやがって! そんなヤツがオレを殺れるものか!」
「何だと!?」
キーツはカッとして、マインの胸ぐらをつかもうと手を伸ばしかけた。だが、マインはそうやって近づくのを待っていたのである。
「そらよ!」
「ぐあっ!?」
マインはキーツの顔めがけて、地面の土を投げつけた。キーツはその目つぶしをまともに受けてしまう。何も見えない。
その隙にマインは立ち上がり、背中の段平を抜いた。
「地獄でミシルによろしくな!」
残忍な笑みを浮かべるマイン。
キーツ、絶体絶命!
そのとき、マインの視界の隅に五、六人のドワーフたちがやって来るのが見えた。鈍足ではあるが明らかに駆けており、手には戦斧<バトル・アックス>やハルバードを持っている。
「助けてー! こっち! こっち!」
見ればキャロルが助けを呼んでいるのだった。
「チッ! 長居しすぎたか!」
マインはキーツにトドメを刺すのをあきらめ、退却を決めた。チックとタックはすでに逃げてしまっている。
「この決着は次に取っておくぜ! オレと組まなかったことを後悔させてやる!」
「待て、マイン! 逃げるつもりか!」
キーツは叫んだが、目が見えないのではマインの位置すら分からない。そんなキーツをキャロルが引き止めた。
「おじさん、ダメ!」
「ワンワン!」
白い仔犬もキーツを止めようとしているのか、必死に足下に飛びつくようにしてくる。普段のキーツならば悲鳴を上げているところだろうが、恋人のカタキを前にしてイヌが怖いことも忘れていた。
だが結局、キーツはマインを追うことが出来なかった。ドワーフたちが駆けつけてきたときは、マインの姿は消えていたのである。
「チクショウ!」
キーツはその場に座り込むようにし、両拳で左右交互に地面を殴りつけた。それは一度では納まらず、拳から血が滲み出るほど、長く長く続いた。
「チクショウ! チクショウ!」
キーツの目からは涙がこぼれていた。それは目の痛みからか、それとも悔しさからか。
そんな悲しいキーツの姿を見て、キャロルはその大きな背中にしがみつくようにし、自らも泣いた。恋人と仲間を裏切りによって失ってしまったキーツに深く同情したのだ。仔犬も悲しげに鳴き、顔をキーツの腰当たりに擦り寄せていた。