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アイナとキーツがストーンフッドの小屋に戻ったのは、東の空が白み始めた頃だった。
ボロボロになったキーツを支えながらアイナが小屋の中に転がり込むと、寝ずに待っていたストーンフッドとレイフがすぐさま駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「これはひどい……」
二人は一様に顔を強張らせた。
キーツは見るからに痛々しい様子だった。裂傷はないが、打撲の痕が暗がりの中でも充分に分かる。傭兵で鳴らしたキーツがここまでやられるというのは、数人がかりで袋叩きにされたとしか思えなかった。実際には一人の男──ソロによってやられたとは知る由もない。
一方、アイナの方も見たところ外傷はなさそうだが、何やら憔悴しきった表情をしていた。想像以上に領主の城への侵入は過酷だったのか。何より、もう一人戻ってこなくてはいけない男の姿がなかった。
ガタッ!
テーブルの方で物音がして、一同は振り向いた。いつの間にかウトウトと眠っていたキャロルが、一行の帰還に気づいて起きたのだ。だが──
「神父様は……?」
グラハム神父の姿がないことに気づき、キャロルが尋ねた。その言葉に、ストーンフッドとレイフもアイナの顔を見る。キーツは今、答えられるような状態ではなかった。
そのキャロルに対して、真摯に答えてやらねばならなかった。それが彼女を悲嘆にくれさせる結果になっても。アイナは悔恨の表情を滲ませながらも、一息ついてから、真正面からキャロルの顔を見据えた。
「神父様は……領主の城に一人残ったわ。私たちを逃がすために……」
「………」
それを聞いたキャロルは全身の力が抜けたようによろめいたが、何とかテーブルに手をついて、それを支えた。アイナの言葉は、グラハムの死を告げているようなものだと、十歳という幼さながら理解したのだろう。
すぐにレイフが駆け寄った。悲痛な面持ちで。
「キャロル……」
抱き寄せようとするレイフの腕をかいくぐりながら、キャロルは一同に背中を向けた。その肩が震えている。しかし、嗚咽は漏らさなかった。その小さな身体で、必死に悲しみを押し殺そうとしているに違いない。肩が震えていた。肉親代わりのグラハムを失い、キャロルは本当に独りぼっちになってしまったのだ。
そんなキャロルをアイナが後ろから抱きしめた。そして、その背中に顔を押しつける。
「ごめんね、キャロル……私たちがいながら、こんなことになってしまって……ごめんね……キャロル、悲しいときは泣いてもいいのよ……我慢しなくてもいいの……」
「……んっ、ううっ……」
キャロルは堰を切ったように泣きだした。振り向いて、思い切りアイナに抱きつく。アイナも腕に力を込めた。そして、二人は顔をぐしゃぐしゃにしながら大声で泣いた。
キャロルと一緒に泣きながら、アイナはもう一つの真実をいつ伝えるべきか考えていた。キャロルの本当の父親を殺したのがグラハム神父であることを。
「ここか」
夜明け前のドワーフの集落に一人の男が現れた。全身に包帯を巻いた長髪の男。そう、異形兄弟の三男であるカシオスだ。
視線の先には粗末とも言える小屋がある。ストーンフッドの住処だ。カシオスはアイナたちが逃げ込んだ場所を特定していた。実はアイナたちが脱出する際、その身体に髪の毛の一本を巻きつけておいたのである。
領主の城での侵入者騒ぎのとき、カシオスはただ黙って見過ごしたのではない。侵入者がどこへ逃げるのか見極めるためだった。
おそらく侵入者は王都の間者ではなく、デイビッドをかくまっている連中だろうと察しがついていた。昼間、マインがチックとタックらと一緒にドワーフの集落でデイビッドを発見したということだったが、それを確めるという意味合いもある。なにしろ、チックとタックはともかく、マインは山賊団の部下ながら、傭兵上がりで、なおかつ、まだ新参者と言うこともあって、カシオスに反目している輩だ。偽のデイビッド情報を教えられた可能性も捨てきれなかった。
だが、それは杞憂だったようだ。脱出に成功した二人の侵入者たちは、ドワーフの集落へと逃げ込んだ。これは偶然ではないだろう。きっとデイビッドも同じ所にいるに違いない。
ただ驚いたのは、途中、ソロとシュナイトが戦ったことだった。シュナイトが侵入者たちをかばったようだったが、それが意図するものが何であるかカシオスにも分からない。カシオス同様、敵のアジトを探るつもりだったのか。
とにかく、シュナイトの顔を見るのは数年ぶりだった。シュナイトがセルモアを出て行って以来だ。それにしても、デイビッド以外では兄弟の中で一番温厚だったはずのシュナイトが、あそこまで苛烈に弟のソロを苦しめたのは、正直、意外だった。別人ではないかと疑ったほどだ。聞いた話では、帰ってから二年間、ずっと地下室にこもりっきりだったというシュナイト。その二年間がシュナイトを変えたのだろうか。それとも、それよりも以前に原因があるのか。
それに空間に身を潜めるソロの新しい能力も驚きだった。いつの間にそんな能力を身につけていたのか。カシオスの髪の毛も、さすがに空間の狭間までは及ばない。ソロの首に巻きつけていた髪の毛も、今は断たれていた。ソロに関しては、髪の毛を首に巻きつけたことによってアドバンテージを取ったつもりだったが、これで立場は対等に戻ってしまったことになる。いや、ソロの新しい能力に対して、こちら側が対処できるかも疑問だ。
だが、今はとにかくデイビッドのことである。シュナイトやソロのことは、その後でもいい。
カシオスは正面からドワーフの集落に入ろうとした。
「何者だ!?」
当然のように、入口から誰何の声が挙がった。見張りに立っていた二人のドワーフたちである。昼間、マインたちが大ムカデの騒ぎに乗じて侵入してきたので、ストーンフッドの命により、交替で夜通しの警戒を行っていたのだ。そのドワーフたちは今さっき、アイナとキーツを通したばかりである。ひょっとしたら追っ手かも知れないと警戒の念を強めたのは当然だろう。
それはある意味正しく、ある意味間違っていたのだが。
カシオスは両手を上げて見せた。夜目の効くドワーフにはよく見える。武器などを携帯していないことを。
殺気など微塵も感じさせなかった。それがドワーフたちの油断を誘う結果となる。
シュッ!
その瞬間、自分たちの首にカシオスの髪の毛が巻きついたことをドワーフたちは気づきもしなかったに違いない。
ピュゥゥゥン!
弦楽器が奏でるような音が鳴ったのと、ドワーフたちの首が落ちたのは同時だった。声もなく転がる死体。その静かなる惨劇に気づいた者はいなかった。
カシオスは一瞬にして邪魔者を排除し、ストーンフッドの小屋に忍び寄った。