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伏兵を二人が引き受けてくれるお陰で、ウィルに後顧の憂いはなくなった。颯爽とカシオスに突進する。
カシオスは後ろへ逃げ気味になりながらも、長髪を振り回すようにして伸ばした。それは鋭利な刃物となってウィルに襲いかかる。
シュルシュルシュル!
ウィルはシュナイトにはめられた手枷のおかげで、まだ魔法が使えない。だが、復活して即、アイナたちに巻きついた髪の毛を断ち切ったように、カシオスの手の内はすでに見切っていた。
シュッ!
《光の短剣》がカシオスの髪の毛を切り刻んだ。それでもカシオスは休みなく、ウィルを攻撃する。だが、超人的なカシオスの波状攻撃もウィルには通用しない。床には無数の髪の毛が散乱した。
「ちぃ!」
カシオスは活路を見出せなかった。ウィルが──《光の短剣》が迫る!
ズドッ!
ウィルは《光の短剣》をカシオスの胸に突き立てた。光が弾ける!
「お、お、おのれぇ……!」
と、同時にカシオスの身体も弾けた。狭い小屋の中に、カシオスの髪の毛が生き物のように伸びる。それも尋常ではない量とスピードで、だ。室内はたちまち髪の毛に埋め尽くされた。
「むっ!?」
「何だ、これは!?」
「キャアアアッ!」
「キャンキャン!」
アイナやストーンフッドたちは髪の毛に全身を絡め取られ、身動きできなくなった。いや、絡め取られるなどというレベルではない。ほとんど押しつぶされるような状態だと言った方が正しいだろう。視界も髪の毛に覆われてしまった。人間一人から、これほど大量の髪の毛が伸びるというのは驚嘆としか表現できない。カシオスの最後の技なのか。
だが、それからしばらくしても何の変化もなかった。
カシオスはどうしてしまったのか。
そして、ウィルは。
やがて、バサッバサッという音が聞こえ始め、目の前の髪の毛が崩れるように取り払われた。ウィルが《光の短剣》を使って、小屋に充満した髪の毛を取り除いているのだ。魔法が使えれば良かったのだろうが、手作業となれば重労働である。ウィルはストーンフッド、レイフ、キャロル、デイビッド、仔犬、アイナの順に掘り起こしてくれた。気を失ったキーツは奥で寝ていたこともあって、一番最後だ。幸いにも皆、無事だった。
ウィルが切り払っていく髪の毛を、ストーンフッドとレイフが外へ掻きだし終えたのは、完全に夜が明けた頃だった。それでも床にはかなりの量の髪の毛が散乱している。
「ああー、もお、ヤダヤダッ!」
アイナとキャロルは身体にまとわりつくカシオスの髪の毛を払うのに躍起になっていた。切ったり、抜け落ちた髪の毛というものは、たとえ自分のものでも気持ち悪いものだ。
「ところで、あの男は逃げたのでしょうか?」
レイフが一息ついて、ウィルに質問した。小屋の中からは“死者のマリオネット”によって操られていたドワーフたちの死体が出てきたものの、カシオスの死体は発見されなかった。代わりに、カシオスが身につけていた服と包帯だけが見つかっている。
「ヤツは最初から、この場にいなかった」
ウィルはこともなげに言ったが、一同には意味が分からなかった。
「どういうこと?」
さらに尋ねたのはアイナだ。ウィルは小屋の中に視線を移した。
「ヤツは髪の毛で死体を操ることが出来る」
「あのドワーフたちと同じように、でしょ? でも、他に死体はなかったわよ」
「髪の毛を身体の代わりにしていたんだ」
「髪の毛を身体の代わりに?」
アイナはもちろん、ウィル以外の全員が驚いた。
「髪の毛を人の形に束ね、それを離れたところから操る。服と包帯で覆えば、それらしく見えるだろう」
「そんなことが出来るの?」
本当だとすれば、神業に等しい能力だ。あれは完全に人間だとしか思えなかった。
ウィルはアイナに向かって、右手を開いて見せた。中にはガラス玉が二つ。どちらも人間の眼球を模したものだ。これが包帯の隙間から覗いていたカシオスの眼だったに違いない。
「声は髪の毛を伝って、話すことも聞くこともできる。周囲の状況は髪の毛を張り巡らせることで情報を得て把握し、対応するというわけだ。だから、ヤツには生きている人間とそれ以外のものは判別できるが、目が見えるわけではないから、寝ていたオレには気づかなかった」
そう言えば、ウィルが意識を取り戻したとき、カシオスは異様に狼狽えていたようだった。きっとカシオスからすれば、ウィルが突然、現れたように感じたのだろう。
「でも、良かったわ。こうしてウィルが元気になって。これでヤツらと少しは対等に勝負できるわ」
アイナはそう言って笑顔を作った。だが、心の底では暗澹たる想いを捨てきれない。何しろ、シュナイトがあちら側についているのだ。この次、出会うときは、敵同士として相まみえないといけないかも知れない。
「残念だが、今のオレではヤツらの一人を相手するのが精一杯だろう。この手枷が外れぬ限りは」
ウィルは珍しく表情を曇らせた。いくら魔法の薬<マジック・ポーション>を飲んだと言っても、万全には復調していないのかも知れない。
手枷と聞いて、ストーンフッドが顔を突っ込んできた。
「そう言えば、その手枷は何なんだ? ワシも外そうと色々やってみたが、全然、ダメじゃった」
「これは古代魔法王国時代、囚人にはめていたものらしい。魔法を封じる力がある」
「マジック・アイテムか! 道理で!」
「じゃあ、魔法を使えないの?」
ウィルが魔法を使えないのでは戦力半減である。いや、それ以上かも知れない。
「デイビッド殿の居場所もヤツらに知られてしまった。この次は本格的に攻めてくるかも知れませんね」
レイフが考え込むように言った。
「なーに、そのときは我らドワーフ族で迎え撃つだけじゃ。この集落を、この鉱山を、ヤツらの自由にさせてなるものか!」
ストーンフッドは息巻いたが、敵の戦力はノルノイ砦の騎士団を加えて膨れ上がっている。どこまで食い止められるか。
これからの戦いは、より厳しいものになるだろうと、皆が予想していた。
カシオスはベッドの上で、びっしょりと汗をかいていた。なにしろ自分の分身を遠く離れた場所から操り、さらに二体のドワーフの死体を“死者のマリオネット”に仕立て上げたのだ。極度に精神を消耗させていた。それにウィルとの戦いは、その場にいなくても恐ろしさが伝わってきており、寝ながらにして息が上がっている。
カシオスは負傷してから、ずっと自分の寝室にいた。実際、《魔銀の墓場》でウィルから受けたダメージが大きく、動きたくても動けなかったのだ。そこで思いついたのが自分の分身を作ることだったのだが、髪の毛で死体を操ったことはあるものの、髪の毛そのものを人間のように動かすと言うのは初めての試みだった。だが、それに誰も気づかなかったようで──唯一、ウィルは気がついたが──、新しい技はひとまず成功と言えるだろう。しかし、やはりウィルの存在は厄介だった。彼を始末しない限り、デイビッドの奪回も難しい。
「それにしても……」
思わずカシオスは口に出して呟いていた。
マインも言っていたことだが、デイビッドの様子がおかしい。言葉を喋れないどころか、正常な認識すら出来ていないようだ。もし、この状態が長く続くようならば、放置しておいても構わない気がする。
とは言え、デイビッドが目障りなことに変わりはない。デイビッドはブリトン国王ダラス二世にも認められている次期領主なのだから。兄ゴルバの野望はもちろん、カシオス自身の計画にも妨げとなる。
カシオスはベッドの上に横たわったまま、デイビッドの奪回とミスリル銀鉱山を制圧する妙案を練り始めた。