←前頁]  [RED文庫]  [「神々の遺産」目次]  [新・読書感想文]  [次頁→

[第三十章/− −2 −−]



吟遊詩人ウィル・神々の遺産

第三十章 突  入(2)


 パメラが閉じ込められている部屋の窓からは、街から城へと至る山道をよく睥睨できた。その山道を今、ゴルバ率いるノルノイ砦騎士団が街へと逃げ出す王都軍に向けて追撃している。先程は潰走状態で逃げ戻ってきたのだが、大して時間も置かずに再出撃していくゴルバは、まるで死に急いでいるように見えた。
 パメラにとって、ゴルバが死のうが生きようが関係ない──はずだった。それなのに胸を騒がす、この気持ちは何だろう。二人の愛は、当の昔に壊れているものとばかり思っていた。それとも、そう思おうとしてきただけなのか。
 ゴルバは夫バルバロッサのカタキだ。だが、かつての恋人でもある。バルバロッサに結婚を迫られたとき、パメラには承諾するしか道がなかった。それがバルバロッサによって簒奪されたセルモア領主カーハーン一族の復興であり、長年の父の悲願だったからだ。それに肉体を化け物同然にされてしまった幼なじみゴルバとの仲は許されなかった。
 人は、物語に出てくる王女か貴族の娘のように、好きな男と逃げれば良かったと、無責任に言うだろう。しかし、パメラにもヴィーゼル家の宿命が、カーハーン一族としての血脈が受け継がれているのだ。自分を犠牲にして家を守ることを教育されてきた。それに従って、何が悪いと言うのだろうか。
 そうは思っていても、パメラ自身も考えずにいられなかった。あのときバルバロッサでなく、ゴルバを受け入れていたら。それが彼を救うことになったかも知れない。また、彼にこのような惨劇を引き起こさせることもなかったかも知れない。
 だが、自分の父親が自分の恋人に求婚した事実を知っても、ゴルバはただ黙っていた。結婚式に参列さえした。その事実が愛を冷たく凍えさせた。口惜しい。今でも憎しみが沸いてくる。愛していたがゆえに。
 愛しているなら、結婚するな、と言って欲しかった。
 愛しているなら、一緒に逃げてくれ、と言って欲しかった。
 愛しているなら、そのときにこそバルバロッサと戦って欲しかった……。
 もう、あのときには帰れない。パメラはバルバロッサの妻となった。バルバロッサの子を産んだ。夢だけを見て生きていた、あの頃の自分ではない。
 パメラは窓から離れると、ベッド下に隠してあったダガーを手に取った。ソロが置いていったものだ。万が一の時は、このダガーでゴルバを殺さなくてはいけないかも知れない。パメラは凶刃の銀光に眼を細めながら、自らに暗示をかけるように見つめた。
 部屋の扉が開いたのは、その刹那である。パメラはとっさにダガーをスカートのポケットに突っ込んだ。
「ヴィーゼル卿の娘、パメラ殿だな?」
 やって来たのは城の兵士などではなく、黒いローブを羽織った青年だった。顔立ちは整っているのに、その血色の悪さは異様なほどだ。パメラに見覚えはなかった。
「まずは自分から名乗るのが礼儀であろう。無礼な」
 声に怯えは含んでいたものの、即座に威厳を取り戻すところは、さすが下級貴族の出でも領主の妻だ。ローブの男は苦笑する。
「すまんな。すっかりこの顔に見覚えがあるだろうと思っていたのだが」
「その顔に……?」
 パメラはもう一度、ローブ姿の青年の顔を見た。記憶を昔にまで遡らせてみる。十年以上も前に。
「まさか、あなた、シュナイト?」
 パメラは幼少の頃に何度か会っているゴルバの弟の名を口にした。面影はほとんど消えてしまっているが、それは年月のせいと言うよりも、何か根本的なところが変化してしまっている気がする。だから、一目見ただけでは気がつかなかった。
「あまり長話をしている暇はない。ちょっと一緒に来てもらおうか」
 シュナイトが近づこうとしたので、パメラは警戒心を強めた。
 シュナイトは二年前、旅から戻ってきたが、そのまま地下室暮らしで、顔を合わせたこともなかった。実の父であるバルバロッサや兄のゴルバも同様である。そのシュナイトが、突然、何の用だというのか。あからさまに怪しい。
 パメラは護身用にダガーを手にしようとした。
 だが、それよりも速くシュナイトが動く。
「レノム!」
 シュナイトが呪文を唱えると、パメラに猛烈な睡魔が襲ってきた。意識が遠のき、瞼が重くなる。
 白魔術<サモン・エレメンタル>の眠りの呪文だ。
 パメラはシュナイトの魔法に抗うことは出来なかった。たちまち深い眠りに落ちる。倒れようとするパメラの身体をシュナイトは支えた。
「《残されし神々の血族》。その血を我のために役立ててもらおう」
 シュナイトの眼は、その邪悪さに鈍く光を発していた。


<次頁へ>


←前頁]  [RED文庫]  [「神々の遺産」目次]  [新・読書感想文]  [次頁→