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「ハァ、ハァ、ハァ、どこまで、走れば、いいって、言うんだよ!?」
「そんなの、私が、知るわけ、ないでしょ!」
「とは言え、このままでは、捕まるのも、時間の、問題、ですね」
「皆さん、頑張って! キャロル、大丈夫かい?」
「は、はい」
「来るぞ!」
言葉を交わすだけでもつらい状況だった。ウィル、アイナ、キーツ、デイビッド、キャロル、レイフの六人は、地下回廊を走り続けていた。それも命がけの状況で。すぐ背後には地下回廊を埋め尽くさんばかりに巨大化したガス・クラウドが迫っている。呑み込まれれば最期だ。
だが、体力的に成熟していないデイビッドとキャロルは限界に近い。それでもデイビッドは弱音を吐かず、それどころか横に並んで走るキャロルを励ましてやっている。彼が人々のリーダーとして正しい資質を持っていることは疑いようがなかった。まだ十歳と幼いが、バルバロッサの正当なる後継者として、セルモアを繁栄に導くであろう。もちろん、それもここを無事に切り抜けられてからの話だが。
地下回廊は絶望感を覚えるほど、まだ先が見通せなかった。走るスピードも鈍ってきている。
「キャッ!」
とうとう足に来たキャロルがもつれるようにして転倒した。あわてて、デイビッドが助け起こそうとする。
「キャロル!」
「私に構わず、行ってください!」
「ダメだ! 君も一緒に来るんだ!」
「行ってください、デイビッド様!」
「いや、君も!」
「二人とも、早く!」
アイナが二人を呑み込もうとしているガス・クラウドを見て、悲痛な叫びをあげた。デイビッドとキャロルは、思わずガス・クラウドに圧倒され、一瞬、動きを止めてしまう。
危機一髪。アイナもレイフも目をつむった。
──と。
そこへ黒い疾風が駆け抜けた。黒きマントの吟遊詩人。ウィルである。その手には《光の短剣》が抜き放たれていた。
シュバッ!
閃光がガス・クラウドを切り裂いた。
手応えあり。ガス・クラウドは攪拌されたかのように、その動きを鈍らせた。
「おら、何してやがる!」
その隙に、キーツがデイビッドたちに駆け寄り、二人の身体を小脇に抱えて走り出した。キーツの怪力に、アイナは感心するよりも呆れ顔。
「どこにそんな体力が残っているのよ!」
「うるせえ! お前が倒れても助けねえからな!」
「こっちこそ願い下げよ!」
互いに罵るアイナとキーツに、デイビッドとキャロルは顔を見合わせて吹き出しそうになった。やはり子供らしい笑顔の方が、彼らには似合う。
「ウィル、行くぞ!」
続けざまに《光の短剣》を振るっていたウィルに、キーツはゴー・サインを出した。ガス・クラウドは巨大すぎて、ウィルの《光の短剣》でも行く手を阻む程度しか効果を為さない。殲滅は不可能だった。
ウィルは一行の殿を務めながら、再び地下回廊を走り始めた。ガス・クラウドも削られた部分をすぐさま修復すると、獲物への追撃を再開する。
また過酷な逃走劇が始まった。
だが、しばらく走ると、ようやく回廊の出口らしき扉が見えてきた。それは遠くに指の爪よりも小さく見えたが、逃走に疲労している一行にとっては希望の光も同然である。最後の力を振り絞った。
「キーツさん、もういいです。僕らも走ります!」
ずっとデイビッドとキャロルを抱えて走っていたキーツは返事も出来ぬほど疲れ切っていたが、言うとおりに二人を降ろしてやった。
「皆さん、あと一息です! 頑張りましょう!」
デイビッドは皆の鼓舞を忘れずに、キャロルの手を引きながら、一行の先頭にまで躍り出た。
だが、ガス・クラウドもまた、そのスピードを上げていた。獲物を一人残らず逃がさないつもりだ。
どちらが先か。
まず、デイビッドが地下回廊の出口に辿り着いた方が早かった。重々しい鉄の扉を開けようとする。が、子供の力ではなかなか開かない。キャロルも手を添えたが駄目だ。すぐに追いついたレイフが力を貸した。
「中へ!」
扉は開ききっていなかったが、レイフは先に子供たちを中に入れると、後方の三人に叫んだ。
次に到着したのはアイナだった。最後に立ち止まって、後ろを振り返る。
そこへキーツが突進してきた。足はもつれ気味で、まるで猛牛のようだ。
「キャッ!」
アイナはそのキーツに押し倒されるようにして、扉をくぐった。あとはウィルだけ。
「早く!」
レイフも中に入りながら、ウィルの到着を待った。
ウィルのスピードは他の者たちと比べても落ちているように見られなかった──と言うよりは、ウィルは疲労すら見せていなかった──が、とうとうガス・クラウドに追いつかれてしまった。黒ずくめの吟遊詩人が黒い霧に呑み込まれる。
「ウィル!」
信じられない光景に、レイフは愕然とした。その声に、デイビッドとキャロルが地下回廊を覗き込む。
ガス・クラウドは回廊出口となる扉の前で動きを止めた。地下回廊を守るモンスターとして生み出されたので、外へ出るようなことはないのだろう。だが、その姿は巨大で、しかも真っ黒なので、まるで地下回廊全体を闇が覆っているように見えた。呑み込まれたウィルがどうなったのか、デイビッドたちには分からない。
そんな状況では、キャロルも下手に真空波の呪文を唱えることが出来なかった。もし、ウィルに当たったりすれば、逆に傷つけてしまうことになる。
皆が途方に暮れようとしていたとき──
ガス・クラウドの黒い塊の内部から、一条の光が伸びた。その光は二本、三本と増え、ガス・クラウドを貫いていく。内部で異変が起きていた。一行が互いの顔を見合わせる。
光は束ねられ、強烈な閃光となった。目が眩む。
世界が闇から光へ転じたとき、五人は不思議な暖かさを覚えた。これまでの疲労感も癒されるかのような。
次に目を開けたとき、周囲は正常な世界を取り戻していた。ガス・クラウドは消滅しており、荘厳な地下回廊の佇まいを見せている。そして──
「行くぞ」
地下回廊からは吟遊詩人ウィルが、まるで何事もなかったかのような優雅さを漂わせながら、出口の扉をくぐり抜けてきた。《光の短剣》をそっと腰の鞘に収めながら。