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「危ねえ!」
反射的にキーツはアイナを後ろから抱きしめるようにし、身体をくるりと反転させた。その背中に、シュナイトは《黒き炎》を見舞う。
ゴオーッ!
「うわぁぁぁぁぁっ!」
キーツの背中が燃え上がった。黒い炎によって。
「キーツ!?」
「キーツさん!」
アイナたちの悲痛な声。キーツは身を挺してアイナを守ったが、まともに《黒き炎》の一撃を受け、そのまま気を失った。アイナは巨漢に押し潰されそうになる。
その頭上を黒い影が飛び越えていった。ウィルだ。
螺旋階段という特殊な空間で、ウィルは天井とのわずかな隙間をすり抜けた。それは神業に等しい。なおかつ、測ったようにシュナイトの前に降り立って見せた。
「生きていたか……」
あまり驚いたような表情をシュナイトは見せなかった。ソロに深手を負わされたはずのウィル。だが、昨夜、シュナイトの部屋から魔法の薬<マジック・ポーション>が運び出されており、その用途が何であったか、悟ったに違いない。
しかし、相変わらずウィルの腕には手枷がはまったままだ。魔法を封じる手枷が。シュナイトはそれを見て、自分の有利さを認識したのだろうか。
「この手枷の鍵を出してもらおう」
ウィルはキーツをやられた恨み言ではなく、まるで店主に注文でもするような口調で語りかけた。シュナイトの目の前に手枷をはめられた両腕を突き出す。
シュナイトは冷笑を浮かべた。
「鍵は元からない。残念だったな」
「そうか。では、自分で何とかするとしよう」
簡単に外れるものであれば、とっくに外しているだろうが、ウィルはそんなことをお首にも出さずに言ってのけた。
「用件はそれだけか?」
と、シュナイト。
「いや。その女性をこちらに引き渡せ」
ウィルは淡々と要求した。シュナイトはかぶりを振る
「この女は《神々の遺産》を手にするのに必要なのだ。その後ならば構わんが」
「《神々の遺産》はお前の手に余る代物だ。やめておけ」
ウィルの言葉に、初めてシュナイトの表情が動いた。驚愕の表情に。
「貴様……《神々の遺産》について知っているのか……!?」
その存在は、長年、研究してきたシュナイトだけが知っているものと思っていた。それを一介の吟遊詩人が知っているというのか。到底、信じられるような話ではない。
だが、ウィルはそれを肯定も否定もしなかった。無言でシュナイトを見つめる。
シュナイトと同じように《神々の遺産》を手にしようとしている者が他にいるのであれば、余計に急ぐ必要があった。シュナイトはパメラを抱きかかえたまま、次第に後退する。
「渡さぬぞ……あれは……絶対に渡さぬぞ!」
シュナイトは呪文の詠唱に入った。黒魔術<ダーク・ロアー>だ。
ウィルには、それが何の呪文であるか分かった。それを阻止しようと《光の短剣》を抜こうとする。
「待って!」
そのウィルの背後から、アイナが腕をつかんでやめさせた。つかんでから、アイナはハッとする。自分でも無意識の行動だったのだ。しかし、それはシュナイトに充分な時間を作らせることになる。
「ビルモート・リザリア!」
シュナイトの呪文が完成すると同時に、その姿がかき消えた。パメラも一緒に。
「母上!」
デイビッドは消えた母の姿を探したが、もちろんどこにもいるはずがなかった。シュナイトの呪文は瞬間移動の魔法で、術者が念じていた場所へ、一瞬にして移動したのだから。
シュナイトに逃げられたこととアイナの思いがけない行動に、一同は黙り込んだ。重い雰囲気が、その場を支配しかける。
だが、すぐにキーツの状態が心配され、みんな、大きな負傷者を取り囲んだ。《黒き炎》は消えていたものの、その痕跡をありありと残すように、着ていた皮鎧<レザー・アーマー>は黒焦げである。おそらく、火傷は地肌にも及んでいて、重傷であろう。襟元の髪の毛も燃えてしまっていた。
「キャロル、治せるかい?」
デイビッドはキャロルに尋ねた。キャロルはうなずいて、キーツの背中に手をかざす。
「神の癒しを……メイヤー!」
キャロルの手が温かな光を放った。するとキーツの背中も同じように輝き始める。キャロルは背中の火傷痕を探るようにして手を動かした。効果が着実に現れていると判断できたのは、首筋のケロイドが跡形もなく消えたときだ。苦悶に歪んでいたキーツの表情も穏やかなものに変わっていく。
一番、胸を撫で下ろしたのはアイナだった。キーツは自分を守って、シュナイトの《黒き炎》を背中に受けたのだ。これで助かると分かり、ホッとした。
やがて、キーツは一声、呻いて、意識を取り戻した。顔をしかめながら起きあがる。
「あつ……あー、ひでえ目に遭ったぜ」
頭を振りながら首筋を押さえるキーツの前に、アイナは沈痛な面持ちで立った。
「ごめんなさい……私のせいで……」
謝罪するアイナに、キーツは凄い形相を作った。
「バカ野郎! お前のせいで、みんなが死ぬところだったんだぞ!」
「………」
キーツの怒鳴り声に、いつものような返す言葉はなかった。その通りなのだから。
「オレが訊いたよな? アイツと今度、会ったときに、戦えるのかって。そりゃあ、昔の知り合いなのかも知れねえ。だがな、今はオレたちの敵なんだぞ! 分かってんのか!? お前がヤツを信じていても、ヤツがお前も容赦せずに殺そうとしたのは事実なんだ! 敵なんだよ、敵! 殺らなくちゃ、こっちが殺られるんだ! そのことをよく考えとけ!」
キーツは一気にまくし立てると、落としていた《幻惑の剣》を拾って、鞘に収めた。
アイナは唇を噛んだ。キーツに言われなくても、昨日から考えていたことだ。だが、いざその場になると、シュナイトをかばうような行動に出てしまった。それがまずいことであることを充分に承知しながら。反論できなかった。これ以上、みんなと一緒に行動したら、また感情に流されて、仲間を危機にさらしてしまうのではないかと恐れた。それならば、いっそのこと──
「僕はアイナさんを信じます」
重苦しい空気の中で口を開いたのはデイビッドだった。アイナは目を見開く。デイビッドはその手を握った。
「アイナさんはこのセルモアに来て、いつも僕を守ってくれました。アイナさんは間違いなく、僕たちの仲間です。少なくとも僕はそう思っています。だから、信じてあげましょうよ、皆さん」
本当ならば、母パメラをシュナイトに連れ去られてしまったデイビッドが一番、つらいはずである。だが、そんな個人的なことは表面に出すことはしなかった。まだ十歳の少年が。幼いながらも立派な振る舞いを見せるデイビッドを見ていると、アイナは自分が恥ずかしくて仕方がなかった。
「私もデイビッド様同様、アイナさんを信じます」
キャロルも明るく賛同した。レイフもうなずく。
「ここで我々が結束しなければ、勝利などおぼつきません」
一人、キーツだけがたじたじとなった。アイナに厳しく言っておきながら、すぐに前言撤回するのも情けない。といって、このままでは仲間はずれ。
「……チッ! 皆がそう言うんじゃ、しょうがねえな! これが最後だと思えよ!」
あまりにも決まりが悪いので、キーツは背中を向けながらアイナを許した。
みんなの温かさに、アイナは涙が出そうになる。
「ありがとう、みんな」
アイナとデイビッドの握手に、キャロル、レイフ、キーツが手を重ねる。ウィルだけがそれを眺め、考え込んでいた。そして、誰にも聞こえないような小ささで呟く。
「やはり狙いは《神々の遺産》だったか……」