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[第三十三章/−1 −−]



吟遊詩人ウィル・神々の遺産

第三十三章 別離の口づけ、そして涙(1)


 足場を失った浮遊感。
 迫り来る炎の塊。
 そして、暗転──
 ゴルバは自分が死んだのかと疑った。
 戦った相手が悪すぎたと言ってもいいだろう。
 吟遊詩人ウィル。孤高なる魔人。
 ゴルバの悪魔の斧<デビル・アックス>も、奥の手である《黒い毒霧》も通用しなかった。
 死とは呆気ないものだとゴルバは思った。簡単に人は死んでしまう。
 だが、左手首をがっしりと握られる感覚に、ゴルバは目を開いた。
「兄者、大丈夫か?」
「ソロ……」
 目の前に弟ソロの醜悪な顔があった。いつの間にか冷たい石畳の上に寝かされている。天井は城のものよりも格段に高く、明かりが届かないことをいいことに暗闇が覆っていた。ゴルバにとって見知らぬ場所だ。
「ここは?」
 ゴルバは四肢が動くことを確かめながら、ソロに尋ねた。
「城の下から湖の方角へ続いている地下回廊だ。伝説にある、な」
「伝説の地下遺跡だというのか? そんなバカな!」
 血相を変えて、ゴルバは起きあがった。そして、改めて周囲を見てみる。
 そこはソロの言うとおり、巨大な回廊の途中だった。まるで巨人用にしつらえたように大きく、これまた太く大きな柱には魔法の明かりが灯されている。ゴルバは回廊の両方向を向いて、その果てに何があるのか探ろうとしたが、それは徒労に終わった。
「一体、何があると言うんだ……?」
 ゴルバは独り言とも質問ともつかぬ呟きを漏らした。
 ソロはこめかみを指で押さえ、表情を歪めながらも、
「さてね。オレには分からねえ。だが、シュナイト兄なら知っているだろうぜ」
 と答えた。
「シュナイトが?」
 確かにシュナイトが放浪の旅から帰り、ずっと地下室に閉じこもるようになったのは、天空人が残した遺跡に関する研究だろうと以前から思っていた。しかし、あの忌まわしい魔導士でさえ発見することが出来なかった遺跡である。魔術や考古学よりも植物学に造詣が深かったシュナイトに、それ以上のことが出来るわけがないとタカをくくっていた。ひょっとして、詳しい資料を魔導士は残していったのだろうか。
「シュナイト兄は、遺跡から何かを掘り出すつもりだ。きっと、とんでもない物をな」
 ソロは《取り残された湖》──ラ・ソラディアータ湖の方向を見据えながら言った。ゴルバが怪訝な顔をする。
「何だ、それは?」
 ゴルバに尋ねられ、ソロはかぶりを振る。
「オレに分かりっこねえだろ。だが、ここへ連れてこられた記憶がある。ほとんどモヤの中みたいに霞んじまっているが……」
「どうして、この地下回廊の存在をもっと早く、オレに報せなかったんだ?」
 ソロの行動は不透明だった。時折、姿を消していることもある。兄弟とは言え、互いに油断は出来ない。
 だが、ソロはそんなゴルバの視線も気にせず、頭を叩いた。
「記憶が曖昧になっていると言ったろ? だが、ヤツのお陰で、段々と閉じ込められていた記憶が甦って来たぜ」
「ヤツ? 誰だ、それは?」
「ヤツさ! さっき、兄者も戦っていた吟遊詩人だ。まだ、ヤツの曲が耳の中でワンワン言ってるぜ! だが、そのお陰で記憶を取り戻しつつある」
 ソロの耳では、まだウィルの演奏曲《リフレイン》が鳴りやまず、頭痛を伴わせていた。しかし、それがソロの言う通り、記憶の荒療治になっているようだ。
 吟遊詩人と聞いて、ゴルバは突然、思い出した。
「そうだ! オレはヤツと戦っていたんだ! ヤツはどうした!? オレはどうしてここにいる!?」
 それこそ最初に尋ねなければいけないことだった。ウィルの魔法によって追いつめられた自分は、どのようにして助かったのか。
「間一髪のところをオレの能力で助けた。──これだ」
 そう言うや否や、ソロの姿が消えた。
 ゴルバは目を見張った。ソロの能力は知っている。地中に潜り、自在に移動できる能力だ。だが、その能力は土や砂地が剥き出しの場所でなければ発揮できぬはず。この回廊はどこも石畳になっている上、ソロの姿も地の底に潜るという感じではなかった。
「兄者、こっちだ」
 背後からソロの声がした。いつの間に移動したのか。
「オレの新しい能力さ。空間移動だ」
 驚いた様子のゴルバに、ソロは優越感を持つ。
「空間移動……いつの間にそんな力を?」
 ゴルバが不思議に思うのも無理はない。ゴルバたちが持つ異形の力は、魔法のように後から体得できるものではない。あの魔導士からゴルバたち兄弟が施されたように植えつけられなければ。
「シュナイト兄からもらった。もっと強くなるために──。だが、どうやらオレを従わせるためでもあったようだ。命令に服従しないと、頭が割れそうに痛くなる。もっとも、今だって吟遊詩人の曲が頭の中で鳴り響いていて、気を緩めたら発狂しそうだがな」
 ソロは力なく笑った。平静を装っているが、相当な苦痛が襲っているに違いない。
「オレが助けなければ、兄者は殺られていただろう。街は王都軍に攻め込まれ、城はデイビッドに奪われた。もう、兄者には手足となって働く兵隊もいねえ」
「………」
 珍しくソロの言うことは正しかった。ゴルバも返す言葉がない。
 残ったのは悪魔の斧<デビル・アックス>だけ。いくら呪われた武具を手にしていようとも、一人で王都軍を壊滅させることは不可能だ。今のゴルバに玉砕してまで守りたいものなどない。戦う手段も目的も失いかけていた。
「だが、残る手だてに賭けてみないか?」
 ソロは静かにゴルバの眼を見据えて言った。何を言いたいのか、兄弟でなくともゴルバには分かった。
「天空人が何を遺したか分からないが、シュナイトが躍起になって探すほどのもの。おそらく、一撃で王都軍を駆逐できるような力──と言いたいんだな?」
「ああ。確証はないけどよ」
 とてつもない力を持った天空人の遺産。それを行使して、散々に痛めつけられた王都軍を壊滅させることは、ゴルバにとって、とても魅力的に思えた。再び戦意が高揚してくる。一度、踏み出した戦いの道だ。死ぬまで足を止められない。
「いいだろう。ソロ、協力してくれるんだろうな?」
 ゴルバは悪魔の斧<デビル・アックス>を担ぎ、ソロの眼を見た。うなずくソロ。
「シュナイト兄をどうにかしない限り、オレは自由になれそうにねえ。いくら兄貴でも、ずっとその下で働きたくはないからな」
 それはゴルバも含めての言葉だったかも知れない。しかし、少なくともシュナイトから天空人が遺した何らかの宝を奪うまでは一緒にやっていけるだろう。それだけで充分だった。
「よし、行こう」
 ゴルバは手を差し延べた。ソロがつかむ。二人は空間を跳躍した。


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