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姿なき来訪者に執務室の扉を開けられ、ゴルバはしばらくの間、相手の出方を窺っていた。二つの足音が近づいてくる。万が一の場合は、闇の毒霧を噴霧する準備もした。
「久しぶりだな、兄者」
入口に、二人の男たちが姿を現した。
一人は黒い髪の毛を長く伸ばした、痩身の男だった。頬がこけ、唇が紫色になった血色の悪い顔も特徴的だが、何より髪の毛の長さが目を引く。それは腰どころか、足のふくらはぎ辺りまで伸びていた。顔には常に冷笑を浮かべ、陰気な印象を抱かせる。
もう一人はとても背の低い男だった。特に腰が曲がったようになっているので、余計にそう見えた。顔は年齢が判別できないほど醜悪で、髪の毛はところどころ抜けたように薄くなっており、眉がなく、左目が大きく開いているのに対して、右目はつむっているかのように細い。鼻は曲がったように潰れていて、薄い唇から覗く歯並びは最悪であった。背中に自分の身体くらいはありそうな、巨大な半月刀を背負っている。
二人の姿を見て、ゴルバは立ち上がった。
「おお、カシオス、ソロ! よく来たな」
その名前を聞いた腹心の部下は、この二人が何者であるか思い出した。
「カシオス様とソロ様?」
それはゴルバの弟たちであった。長髪の男がバルバロッサの三男、カシオス。醜悪なせむし男がバルバロッサの四男、ソロであった。
二人は数年前に、それぞれセルモアを離れていた。ゴルバ同様、父から愛されることなく、身の置き場がなかったのだ。彼らもまた、異形の者たちであった。
「しばらく、我ら兄弟だけにしてもらおう。誰も執務室に近づけるな」
「はっ!」
腹心の男は、内心、この場から離れられることに安堵した。ゴルバもそうだが、カシオスもソロも、まとう妖気がただものではない。気を抜くと卒倒しそうなくらいだ。
得体の知れぬ二人の弟たちと視線を合わさずに部下が出ていくと、ゴルバは二人を抱き寄せるようにして、再会を喜んだ。
「よくぞ、帰ってきてくれた」
「兄者も元気そうだな」
「オレは兄者が、あのオヤジに殺されてるんじゃないかと思ってたぜ」
「フッ、ソロ。それは逆だ」
「何?」
それを聞いたソロはもちろん、カシオスも驚愕の表情を浮かべた。
「兄者、それじゃ……」
「ああ、オヤジを殺った!」
ゴルバは凄惨な笑みを浮かべた。カシオスが思わず口笛を吹く。
「死んだのか、あのオヤジが」
「オレたちをこんな身体にしたオヤジが死んだ……」
カシオスとソロは初め、信じられないといった顔をしていたが、やがて笑いが込み上げてきて、大声を上げた。
「ハッハッハ、死んだか! ざまーみろってんだ!」
「くそー、どうせならオレもその場でオヤジの最期を見てみたかったぜ!」
「まったくだ!」
実の父親が死んで、息子たちは心底、喜んでいた。彼らに人間らしい心など、もはやないのだろうか。
「このことはシュナイト兄さんも知っているのかい?」
ソロの疑問に、ゴルバは笑みを消して、首を横に振った。
「何だ、シュナイト兄さんに連絡を取っていないのか?」
「シュナイトは帰ってきている」
「何だって?」
シュナイト──それは、バルバロッサの次男の名前だった。カシオスやソロがセルモアを離れるよりも前に出ていったのだが、戻ってきていたとは二人の弟たちには知らされていなかった。
「シュナイトはこの城の地下に閉じこもっている。もう、二年近くもな」
「地下って……」
「あの忌まわしい場所にか?」
驚く弟たちに、ゴルバは黙ってうなずいた。
セルモアの城の地下に、何があるというのだろうか。
「だから、オヤジを殺したのはオレ一人の考えだ」
ゴルバは二人に背中を見せながら、机の方へ歩き出した。そして、ゆっくりと領主の机に腰を下ろす。それは暗に、自分がセルモアの領主になったということを示していた。
「これから少し忙しくなるだろう。そこでお前たちの力も借りたいので、呼び戻したわけだ」
カシオスとソロは、兄が何を言わんとしているのか、充分に理解しているつもりだった。それは──
「セルモアの街の利権をこの手に握り──」
「弱体化したブリトン王国から完全に独立する」
「もしくは、この国そのものを乗っ取るのだ!」
ゴルバが手を差し出すと、カシオスとソロがそれに自分の手を重ねた。野望のために、兄弟が結託したのだ。
「──だが、一つ問題がある」
ゴルバは少し表情を曇らせた。二人の弟は眉をひそめる。
「デイビッドが逃げ出した」
ゴルバの言葉に、苦々しげな表情を作ったのはソロだった。醜悪な顔が益々、グロテスクさを増す。
「あのガキか! さぞ、クソ生意気な面になっているんだろうぜ!」
「それで行方は?」
と、カシオス。
「どうやら旅の者たちに助けられたらしいことは分かった。今、全力で捜索中だ」
「探し出したら、オレがあの面をメチャメチャに切り刻んでやる!」
ソロの顔がその光景を想像して、危険なものになる。
「そのときこそ、我ら兄弟の天下だな」
再び笑いが起きた。
それを不意にカシオスが制した。唇に人差し指を当てる。
次の瞬間、先程と同じように、誰も手を触れることなく入口の扉が開いた。
「!」
と、今度はそこに、城詰めの兵士が一人立っていた。少し腰を屈めたような姿勢で、横を向いている。それは正に聞き耳を立てていたに違いなかった。
立ち聞きしていた兵士の次の行動は速かった。即座に脱兎のごとく逃げ去る。それを眺めていたゴルバたち兄弟は、間抜けなくらい呑気に構えていた。
「何だアレは?」
いかにも頭の悪そうなソロが、兄たちに尋ねる。それに答えたのはゴルバだ。
「おそらくは王国から差し向けられた間者だろう」
「間者? スパイってことか?」
バルバロッサが存命のときから、王国と事を構えていたセルモアに対し、現在、重病であるダラス二世が、内情を探るためにかねてより潜り込ませていたのはゴルバも知っていた。父バルバロッサもそうと知りながら、泳がせていたようだ。特に知られて困るようなことはなかったし、普段から大した活動もしていなかったのだが、やはり領主の死と後継者の失踪という一大事が発生したために、情報収集をしていたに違いない。それが自らの死を早める結果になろうとは知らずに。
「じゃあ、オレが始末をしてこよう」
そう、ソロが申し出るのを誰も止めなかった。
ソロは背中の巨大な半月刀を手にして、不気味に笑った。