[←前頁] [RED文庫] [「神々の遺産」目次] [新・読書感想文] [次頁→]
「どうした、サリーレ?」
「え?」
「その男に惚れたか? 先程から声が艶っぽくなっているぞ」
「な? そ、そんなことは……」
カシオスに珍しくからかわれて、サリーレは狼狽した。そんなことを言われると、余計に顔が火照ってくる感じがする。ウィル。あの吟遊詩人はそう名乗った。ただの吟遊詩人とは思えない。何者だろうか。
「兄者、吟遊詩人と言えば」
「ああ、オレも今、考えていたところだ」
カシオスの言葉に、ゴルバがうなずく。確か、湖岸でデイビッドらしき子供を連れた旅人を助けたのが、黒いマント姿の吟遊詩人だったと報告を受けた。同一人物の可能性は高い。そして、それが指し示すのは、デイビッドはこの街にいるということだ。
「その吟遊詩人の居所、分かるか?」
カシオスはサリーレに尋ねた。
「一応、チックとタックに尾行するよう言っておいたよ。こっちもこのままじゃ引き下がれないんでね」
「よくやった」
これでデイビッドを奪回できるかも知れない。他の街へ行かれていては厄介だったが、この街にいるのならば色々と手が打てるというものだ。だが、その一方で早めに決着をつけなくてはならないだろう。ゴルバが領主たるバルバロッサを殺したという真実を街の領民たちが知れば、ミスリル銀鉱山のドワーフ共々に力を合わせて、デイビッドの味方につく。それは野望の終焉だ。
「では、チックとタックが戻るまで休め。お前たちにはもう一仕事してもらうかも知れないからな」
カシオスはそう言うと、そこで初めてサリーレを振り返った。サリーレが微笑み返す。
するとそこへ、廊下の角からゴルバとカシオスの弟であるソロが現れた。酒瓶を手にし、足下はよろけている。
「おお、兄者たち! どこへ行っていたのだ?」
ろれつも怪しかった。
「カシオスの仲間たちが到着したのでな。その出迎えだ。では、オレは執務室に戻る」
そう言うとゴルバは、カシオスたちと別れた。
ソロはカシオスの後ろにいたサリーレを見るなり、眠たげにつむりかけていた目を見開いた。
「うおっ!? ハーフ・エルフのねえちゃんじゃねーか! べっぴんだな! どうだ、オレの酒に付き合わねえか?」
ソロは真っ直ぐに歩けなかったが、サリーレに近づこうと必死に足を動かし、愛想の笑みを作った。ただ、元が醜悪な顔なので、笑顔も不気味この上ない。案の定、サリーレは嫌悪の表情を作った。
「何よ、このゲテモノ! 気持ち悪い!」
その言葉に、ソロはとさか立った。
「気持ち悪い!? 気持ち悪いだと!? 女、言ってはならぬことを言ったな!」
「ふざけないで! アンタ、自分の顔を鏡で見たことないの!?」
さすがに気丈なサリーレ、怪物じみた顔で怒るソロに対してひるむところがなかった。それが益々、ソロを苛立たせる。
「女ぁ、犯すぞ! 絶対に犯す! そして、オレの子を産んで後悔しろ!」
「やい、貴様! いいかげんにしないか! それ以上、サリーレに近づくんなら、オレが相手になるぜ!」
サリーレを守るようにして、マインが進み出た。背中の段平に手をかける。
対するソロに武器はない。ソロは持っていた酒瓶を投げつけようと、その手を振り上げた。
「待て、ソロ! マインもだ!」
二人を制したのはカシオスであった。ざわっと長い髪が波立つ。それを見たマインは息を呑んだ。先程、見せしめに殺された仲間の姿を思い出したのだ。
「兄者、止めるのか!?」
このままで納まらないのはソロの方である。そのまま投擲の姿勢を取る。だが、その腕が止まった。
「うっ!」
サリーレとマインは知っている。それがカシオスの髪の毛によって動きが封じられたことを。
「やめろと言ったはずだ、ソロ」
カシオスは弟に対して、蔑むような眼を向けた。彼は腹違いの弟に対しても冷酷な仮面を外すことはなかった。
「わ、分かったよ、兄者」
ソロは怒りの表情を消した。途端に呪縛が解ける。それはあまりに唐突だったので、思わずソロは持っていた酒瓶を落としてしまい、粉々に砕け散った。
「ソロ、オレの部下たちに手出しするな。それにサリーレはオレの女だ。忘れるな」
「お、おう」
ソロは渋々ながらうなずいた。サリーレはそんなソロを見て、ほくそ笑む。
カシオスはマインの方を振り返った。
「お前もだぞ、マイン。これでも、そいつはオレの弟でな」
「弟!?」
マインはつい、カシオスとソロを見比べてしまった。細身で長身のカシオスに比べ、ソロは腰が曲がっているせいもあって、非常に背が低い。何より顔が似ていなかった。この二人が並んでいても、誰も兄弟だと気づくまい。
「これからオレたちは団結して、このセルモアを、そしてブリトンを手に入れるのだ。身内で争っている場合ではない」
そう言うとカシオスは、サリーレを横にはべらせながら、歩き始めた。
その背中をソロとマインが、憎悪のこもった眼差しで見つめていたと、カシオスは知っていたであろうか……。