[←前頁] [RED文庫] [「神々の遺産」目次] [新・読書感想文] [次頁→]
「何で? だって、神父なんでしょ?」
「神父と言ったって、みんながみんな、魔法を使えるわけじゃない」
それはその通りだった。聖魔法<ホーリー・マジック>は、神への強い信仰心があって、初めて起こすことの出来る奇跡だ。奇跡と言うからには、日常茶飯事に誰もが起こせるものではない。徳の高い僧侶や司祭ならば、神から授かった力を人々のために使うことが出来るが、信仰心の浅い者では習得など不可能だった。そして、世界に多くいる聖職者のほとんどは魔法を使うことが出来ない者ばかりで、だからこそ奇跡を起こせる者は神に等しく崇拝されるのだ。
アイナはせっかくここまで辿り着いて、無駄足だったとはまだ認めきれず、なおもグラハムに食い下がった。
「ウソでしょ? だって、あなたがこの街で唯一の神父なんでしょ?」
「そうだ」
「だったら、初歩的な回復魔法の一つぐらい……」
「気安く言ってくれるがな、ねーちゃん。そんなに簡単に奇跡なんて起こせないものなんだよ。でなきゃ、奇跡の価値が薄らいじまう。それに魔法が使えるんなら、とっくに自分の傷を治しているさ」
グラハムは包帯を巻いた自分の左腕を指し示した。アイナはへなへなと腰が抜けそうになった。
「そんな……こんなに大きな街にいるのに……」
「この街は信仰心とは無縁な連中が多く住んでいるからな。だから、この教会のボロっちさを見ただろ? 信仰心の厚い街なら、こんなボロってことはねーよ。もっとも、オレが奇跡を使えていれば、少しは寄進の金で小綺麗に繕っているだろうけどよ」
セルモアの街をここまで大きくしたのはミスリル銀による交易である。この街に暮らす者は、稼ごうと思えば他人より多く働けばいいのであって、己次第でのし上がっていくことが出来た。つまり、信じられるものはまず自分であり、金なのだ。そのような者たちに神の助力は必要ない。鬱陶しいだけだ。
それに比べ、農作物などを作っている者は天候によって生活が左右されることが多い。悪天候は人の力では何ともし難いもので、結果、不作が続けば神に祈りたくなってくる。実際、そういう生活をしている者のほとんどは、敬虔な信者が多い。
人は弱いときに神を求め、順風の時には神を顧みない不貞の弟子なのだ。
もちろん、アイナが言うように、国の首都やそれに類する街には寺院や教会が多く点在しているものだ。だが、それは寺院や教会が持っている勢力がそれぞれの権力者にまで及んでいるからであって、このセルモアの領主バルバロッサには通用しなかった。彼は実に合理的で、街の利益を聖職者たちに奪われるようなことは避けていたし、神の存在自体を認めていなかったのだから。
「じゃあ、どうするのよ? 魔法が使えないんじゃ、この子は……」
アイナはすがるような目で、グラハムとウィルを交互に見やった。
「まあ、待て。オレは魔法を使えんが、この子の生命を救うことは出来る。ここに連れてきたのは正解だ」
「どうするのよ?」
「薬を調合する」
そう言ってグラハムは、小さな壺をいくつも棚から降ろした。アイナは興味を覚え、首を伸ばして壺を覗き込む。中には、よく分からないが毒々しい色をした木の実や粉末状のものが入っており、思わずアイナはげーっと舌を吐き出した。
「効くの?」
デイビッドの具合が益々、悪くなってしまうのではと危惧して、アイナが尋ねた。それに答えたのはキャロルだった。
「神父様の調合するお薬は、街の人たちにも評判なんですよ」
と言って、先程から入れていたお茶をアイナとウィルに振る舞う。そして、茶目っ気たっぷりに、
「もうちょっと真面目に薬を作る仕事に励んでくれたら、この教会での暮らしも楽になるのに」
と、付け加えた。これには思わず、アイナも吹き出しそうになった。
「キャロル、余計なことは言わんでいい」
「は〜い」
もちろん、グラハムに注意されても、キャロルはケロッとしたものだった。考えてみると不思議な組み合わせの二人だ。親子でないのは明らかだが。
グラハムは無造作とも思える手つきで、いくつかの壺の中身を器にあけると、すりこぎ棒で調合を始めた。見る見る器の中は黒っぽい粉末に変わっていき、薬だか毒なんだか分からなくなってくる。よく混ぜ終わると、今度はそこにお湯を注ぎ、溶かし込む。そのまま飲ませるには熱いので、出来た液体をしばらく冷ましてから、グラハムは寝ているデイビッドの口へゆっくりと流し込んだ。
固唾を呑んで見守るアイナ。
デイビッドの喉が小さく動く。飲み込んでいるのだ。
グラハムは慎重に慎重を期して薬を飲ませ、やがて器が空になった。
「これで一晩、安静にしていれば大丈夫だろう」
その言葉を聞いて、グラハムが飲ませている間、息を止めるようにして見つめていたアイナが、ふーっと肩の力を抜いた。
「ありがとうございます」
素直に感謝した。
「それは明日の朝、この坊主が元気になってから言ってくれ。──そう言えば、にーちゃん」
ずっと無言で茶をすすっていたウィルの方をグラハムが振り返って言った。
「さっき酒場で奴らを追っ払ったときに魔法を使っていたな。ただの吟遊詩人じゃないと見たが?」
グラハムの質問の答えに、アイナも興味があった。ウィルには謎が多すぎる。
だが、ウィルは答えようとしなかった。この男、例え拷問しても口を割るまい。
グラハムも無理に追求するつもりはなかったのか、すぐに笑いをこぼした。
「まあ、いい。だがな、街中で魔法を使うのはもうやめた方がいい」
「なぜだ?」
初めてウィルが問い返した。少しはグラハムの話に興味を示したらしい。
「このセルモアの人間は、魔法使いを毛嫌いしているのさ」
グラハムはなぜだか、吐き捨てるように言った。
「どうして? 何か理由でもあるの?」
それを尋ねたのはアイナだ。