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[第九章/− −5−]



吟遊詩人ウィル・神々の遺産

第九章 地に潜みしもの(5)


 城内に不案内なソロでも、地下室への階段だけはハッキリと憶えていた。当時はまだ物心がつくかつかないかの頃であったにも関わらずである。
 底なしの闇へと続く階段。今でも鮮明に記憶が甦ってくる。
 ソロは強く頭を振った。飲んだばかりの酒の酔いもどこかに吹き飛んでいる。恐怖心が脳髄までも凍えさせるかのようだ。
「くそ、兄者め」
 思い出すたびに腹が立ってくる。きっとゴルバだって地下室へ足を踏み入れる度胸がないから、自分にこんなことを命じたのだ。そうに決まっている。
 ソロは明かりも所々にしか灯されていない階段を、一歩一歩、慎重に降り始めた。右手の壁に手を添える。
「オレはもう子供じゃない! オレは昔のオレじゃない!」
 自分に言い聞かせるように独り言を呟く。
 下の方からは、何やら生暖かい風が漂ってくるようだった。悪い予感がする。それを知らせるように後頭部の辺りが鈍くうずいた。
 それにしても兄シュナイトはなにゆえ、こんな地下室にこもっているのだろう。話によれば、城の給仕が毎日三食をきちんと届けているそうなのだが、いつも地下室の扉前に置いてくるだけで、顔は一切見ていないのだという。もちろん食事をした形跡はあるそうだ。だが、それ以外では外界と一切の関わりを絶っている状態で、丸二年、誰も会ったことがないらしい。何がそこまで兄を駆り立てるのだろうか。まるで、あの忌まわしき魔導士の妄執が取り憑いたかのようだ。
 魔導士が地下室で研究していたのは、このセルモアの地に眠るとされている天空人の遺跡についてだと聞いている。かつて魔法で栄華を極めた古代人たちが残したもの。それは現在では失われてしまった魔法の品々であろうと言われ、どれ一つとっても貴重なものに違いない。
 だが、それは伝説に過ぎないのかも知れなかった。実際、セルモアにはこれまで各地で報告されているような遺跡が発見されたという事例はない。父バルバロッサに取り入った魔導士も思ったような成果を上げてはいなかったようだ。こうなってくると遺跡の存在自体、疑問になってくる。
 ただ、それは逆に言えば、全てが謎に包まれている限り完全な否定もできないわけで、その発掘に夢を託したくなる者もいるだろう。兄シュナイトがそういった人間に類するようになったとも考えられなくもない。
 元々、シュナイトは兄弟たちの間でも聡明であった。争い事よりも学問を好み、剛胆な父から生まれたとはとても思えなかったほどだ。今のデイビッドに似ていたかも知れない。だが、あの日に全てが狂った。あの忌まわしき人体改造。他の兄弟たちと同じく、明るい将来は闇に閉ざされた。
 ソロは幼少の頃の記憶しかない兄のことを思い出しながら階段を下り、やがて終着点に到達した。目の前には一枚の鉄の扉のみ。その足下に空になった皿を乗せたトレイが整然と置かれている。置いた者の几帳面さを表すかのように、ナイフとフォークはきちんと並べられ、食べ残しなど一切ない。まるで新しい食器を並べたかのようだ。
 ソロは少しだけ躊躇したが、すぐに鉄の扉をノックした。響くせいか、とても大きな音に聞こえた。
「シュナイト兄ィ、いるかい? オレだ。弟のソロだ。ちょっと話があるんだが」
 だが、返事はなかった。耳を澄ましても、何の音も聞こえてこない。
「入るぜ」
 ソロは仕方なく、鉄の扉のドアノブに手をかけた。
 ギィィィィィッ……
 ひどく錆びついた音がしたものの、扉はあっけないくらいに開いた。隙間から顔を覗かせる。
 地下室はロウソクのゆらめく炎に照らされていた。部屋の中央には石の寝台が据え付けられており、凄惨な記憶がフラッシュバックする。ソロや他の兄たちは、この寝台で魔導士の人体改造手術を受けたのだ。忘れようにも忘れられない。さらに壁際にはソロが見てもどのように使うのか分からない品々が数限りなく並べられており、改めてあの魔導士が住処としていた部屋だと痛感させられた。
 ソロは地下室そのものが発する異様な気に呑まれたように、茫然と立ち尽くしていた。そのせいであろう。背後より近寄ってきた気配に気がつかなかったのは。
「何の用だ?」
 突然、声をかけられ、ソロは思わず飛び退きそうになった。いつの間に近づいたのか、それとも初めからいたのか、黒いローブ姿の長身の男がソロのすぐ背後に立っていては無理もない。ソロはあの魔導士が昔の住処へ舞い戻ってきたのかと恐れおののいた。
 だが、すぐに別人だと分かった。魔導士は当時、父よりも歳がいっていたが、この男は若い。まだ青年だ。
 ソロは余裕を取り戻すと同時に、この青年が誰であるのかも思い至った。それはまさしく自分が呼びに来た人物ではないか。
「シュナイト兄ィ!」
 黒いローブの青年こそ、ソロとカシオスの兄であり、ゴルバの弟に当たるシュナイトだった。再会するのは実に十五年ぶりだ。
 シュナイトは驚きの表情を作っているソロにさしたる興味も示さず、部屋の中央へと進んだ。昔から物静かな印象ではあったが、それとはいささか異なるような気がする。それにロウソクの照明のせいか、影を表情にこびりつかせている様は、陰鬱なのイメージをソロに抱かせた。もちろん、そんなことを根っからの悪党であるソロが言えた義理ではないが。
「シュナイト兄ィ! オレだよ! ソロだよ! 忘れちまったのか?」
 ソロはシュナイトに向かって言った。ゆっくりとシュナイトが振り返る。
「忘れるわけがないだろう、弟よ。よく来たな」
 抑揚のない口調で歓迎するシュナイトにソロは不審なものを感じていた。少なくともソロが知っている兄シュナイトではない。この十五年で何が彼を変えたのだろうか。
「それで何をしに来たのだ?」
 シュナイトは何の感情も表さずに弟に尋ねた。
「シュナイト兄ィの力を借りたいんだ。親父が死んだのは知って……るわけはないか?」
「バルバロッサが?」
 自分の父を名前で呼ぶシュナイト。やはり違和感は否めない。
「病でか?」
「いや、ゴルバ兄ィが殺ったそうだ」
「ほう」
 ここで少し、シュナイトの表情が変化した。それは笑みだったか。
「どうせなら、このオレ自ら手を下したかった」
「へへ、兄ィもそうかい? オレもゴルバ兄ィに同じことを言ったぜ」
「それで力を借りたいというのは?」
「残念ながらデイビッドを捕まえ損ねてな。それを保護しているのが、物凄く強い魔術師なんだ。オレもカシオス兄ィも歯が立たなかった」
「何者だ、そいつは?」
「わからねえ。風貌は吟遊詩人みたいなんだけどよ、魔法は使うわ、魔法の武器らしい短剣は使うわで、手に負えねえのさ。そこでゴルバ兄ィがシュナイト兄ィの力も借りたいって言うワケよ」
 弟の話を聞き終えたシュナイトは、即座に首肯しなかった。
「オレは研究で手一杯だ」
「研究って?」
「もちろん、このセルモアに眠る古代遺跡の発掘だ」
「まさか、アイツが残した研究を引き継いでいるのか?」
 ソロの言う「アイツ」とは、もちろん彼ら兄弟を人体改造した魔導士である。シュナイトはうなずいた。
「本当にあるのかよ、そんなものが?」
 興味がないソロにしてみれば、懐疑的なのは仕方がない。だが、
「ある!」
 と、シュナイトは力強く断言した。その迫力はこの兄から初めて発せられるもので、ソロは思わず気圧された。
「だ、だがよ、そんな遺跡の発見なんざ、いつだって出来ることだぜ。しかし、デイビッドのヤツを早く始末しちまわないと、こっちの身が危うくなる。なあ、力を貸してくれよ」
 ソロのおつむにしては気の利いたセリフだったろう。さすがのシュナイトも一考した。
「よかろう。直接、力を貸している暇はないが、その魔術師を何とかする協力はしよう」
「本当か?」
「ただしだ。お前にも少し発掘の手伝いをしてもらおう」
 シュナイトの意外な交換条件に、ソロはまた驚いた。
「オレにそんな手伝いが出来るのか?」
「出来る。いや、お前たちにしか出来ないのだ」
 シュナイトの言う「お前たち」とは誰らを指すのか。
 シュナイトは入口の向かい側になる壁の前に立つと、印を結び、呪文のようなものを唱えた。兄がいつの間に魔法を会得したのかと驚いている隙に、壁は音もなく開き、新たな通路への入口を作り出していた。
「これは!?」
「さあ、ついてこい」
 そう言ってシュナイトは先が見通すこともできない通路へと足を踏み出した。
「これも、あの魔導士が作ったものなのか?」
 ソロは独りごちると、用心しながらシュナイトに続いた。
 二人の姿が通路の闇の中に消えると、入口はまた音もなく閉ざされ、何事もなかったかのように壁が元に戻るのだった……。


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