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[第十二章/−1 −−]



吟遊詩人ウィル・神々の遺産

第十二章 坑道の怪物(1)


 セルモアの街より少し離れたミスリル銀鉱山のドワーフたち集落では、ノルノイ砦の騎士団がやって来たことも露知らず、平和に時を過ごしていた。
 ドワーフたちはいつものように鉱山へ働きに出掛け、ストーンフッドはキーツより頼まれた剣を鍛え直し、その仕事場の片隅ではグラハム神父が朝っぱらから酒をかっ喰らって高いびき、外では日向の暖かさと夕べの見張りの疲れでキーツが居眠りをし、アイナは井戸端でみんなが食べた朝食の食器を洗っている。ウィルはどこへ行ったのか、朝食を取ってから姿を消していた。そして、デイビッドとキャロルと白い仔犬は、アイナの目が届く範囲で、子供らしく無邪気にかけずり回って遊んでいる。それは平和そのものの光景だった。
 アイナは時々、洗い物の手を休めては、デイビッドの姿を目で追った。こうして見ていると普通の子供にしか見えない。だが、相変わらずデイビッドが示す反応は普通の子供とは異質だった。
 デイビッドには、しばしば周囲の環境や人々に対して戸惑ったような仕草が見えた。それに相変わらず言葉を発することが出来ない。まるで言葉を喋れぬ赤子のように呻くだけだ。
 そして歩くのにも、最初、こわごわといった感じが見受けられた。まるで歩くのに慣れていないかのように。
 湖から助け出して、初めて教会で目覚めたときに暴れていたのは、どうやら本人の中で某かのパニックが起こっていたらしい。だから今朝、目覚めたときも、教会の時と同じような反応を見せかけ、アイナもグラハムも身構えてしまったのだが、そこをうまくなだめたのがキャロルだった。キャロルは周囲の状況に驚いた様子のデイビッドを優しく抱きしめると、まるで母の胸で眠る子供のように、デイビッドは不思議と大人しくなったのだ。これにはアイナもグラハムもびっくりで、自然、キャロルにデイビッドを任すことになった。今、こうして遊んでいる二人を見ると、すっかりキャロルになついた様子だ。キャロルも昨日、敵に捕まって、怖い目にあったはずだが、そんなことを微塵も感じさせず、何事もなかったかのように明るく振る舞っている。まだ年端もいかぬ子供ながら、アイナは感心せざるを得なかった。
 また、そんなデイビッドを見て、グラハムはこれをショックによる幼児退行化現象ではないかと推理していた。読み書きもまともにしなかったアイナにはグラハムが話すことは難しかったが、何でも精神的なショックを受けたことで、幼い頃の自分に戻ってしまうことがあるらしい。それによってつらい現実から逃避するのだと言う。グラハムは吟遊詩人と言う職業柄、あらゆる知識に詳しそうなウィルに意見を求めていたが、寡黙な吟遊詩人は否定も肯定もせず、ただ模索にふけっていた。ウィルには別の考えがあるのだろうか。
 とにかく、デイビッドがこんな調子では、こちら側としてもどう動いていいのか分からない。領主の城で起きた惨劇をあれこれと推測しても、真実を知っているのはデイビッドだけなのだ。彼の異母兄たちがどんな陰謀を企んでいようとも、それを阻止しようなどという大それた考えはアイナにはない。ただ、デイビッドを救ってやりたいと思っただけだ。もし、デイビッドの父バルバロッサが殺され、デイビッドの継承権が脅かされているのならば、王都へ出向いて正義を正してもらうのが一番だろうが、今のデイビッドでは領主としてふさわしいか認められるかも疑問だし、何より悪事を示す証拠がない。分かっているのは、デイビッドの兄たちが彼の命──もしくはその身柄を狙っているのは事実で、それを阻止してやることがアイナに出来る精一杯のことであった。
 アイナは食器を全部洗い終え、ストーンフッドの小屋へ戻ろうと立ち上がった。
「きゃっ!」
 デイビッドたちを眺めながらだったので、アイナはそちらに気を取られており、すぐ後ろにキーツがいたことに気づかなかった。いきなり現れたキーツのデカイ図体にびっくりし、思わず洗ったばかりの食器を落としそうになる。
「──っと、危ねえ!」
 キーツは咄嗟にアイナの手を両手で包み込むようにし、食器が落ちるのを防いだ。間一髪に、アイナはふーっと息を吐き出す。
「びっくりするじゃない! もお!」
 助けてくれた礼より、キーツへの文句が先に出たのはアイナらしいところだった。これにはキーツも慣れかけている。
「悪い悪い。しかし、オレの反射神経もまんざらじゃないだろ?」
「………。それより、いつまで私の手を握っているつもり?」
 アイナに睨まれ、キーツは慌てて添えていた手を離した。
「べ、別に下心があったわけじゃねえよ。何でもかんでも、そっちに結びつけるな!」
「あーら、女の行水を覗いていたのは、どこのどなたさんでしたっけ?」
「お前、ホント、執念深いな……」
 これにはさすがのキーツも閉口する。
「何か言った?」
「いや、別に」
 小屋へと歩き出すアイナの後ろを、キーツは暇そうについてきた。
「しかし、こう何もないと、身体がなまるなぁ」
 そう言って肩を回したり、首を左右に傾けてみる。
「ホント、傭兵なんてただの大飯喰らいね」
 アイナの手厳しいご意見。
「あのなぁ、これでもダクダバッドじゃ大いに働いたんだよ。戦争も終わり、しこたま稼いだから、晴れて故郷へ凱旋さ。オレん家はまだ小さい弟や妹が多くてよ、親父も死んじまったからオレが親代わりみたいなもんなのさ。故郷へ帰るのは三年ぶりになるかなぁ。みんな、大きくなったろうぜ。まあ、ついでに剣を直してもらおうと思ってここへ立ち寄ったが。──そう言えば、お前は何しにこの街へ来たんだ?」
 キーツは何気なく聞いてきた。アイナの心の中で一人の青年の顔が浮かぶ。
「べ、別にいいでしょ」
「この街は行くも帰るも、あの湖の道一本だ。つまり、この街へ用がなけりゃ、わざわざこっちへは来ないってことだろ?」
「まったく詮索好きな男ね」
「お前への興味だと言ってくれ」
 臆面もなく言うこの男に、アイナは足を蹴飛ばしてやろうかと思った。
 しかし、キーツの言葉は的を射ていた。アイナはこのセルモアへ、あの青年を追ってきたのだ。
 青年の話には、よくセルモアが出てきた。他のどこよりも詳細を語ってくれたし、頻度も高い。それが彼の故郷だとは話していなかったが、なんとなくアイナはそう感じ取っていたのだ。だから、青年がアイナの前から姿を消したとき、もしかしたらセルモアへ向かったのではないかと考え、旅に出たのである。
 もしデイビッドの件がなければ、アイナはきっと街中を探していただろう。会いたかった。今すぐにでも会いたかった。そして尋ねてみたかった。どうして一言も告げずに去ってしまったのか。自分のことをどう思ってくれていたのか。
 それは自分への確認でもあった。
(私はあの人のことを──)
 答えは出そうで出なかった。


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